哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ぶ のこと

■ ぶ のこと

 朝ドラ(NHK連続テレビ小説)が好きだ。私的朝ドランキングは、現状以下の通りである。「おかえりモネ→エール→らんまん→あさが来た→わろてんか→べっぴんさん→とと姉ちゃん→舞いあがれ!→ひよっこ→ちむどんどん→なつぞら→カムカムエリバディ→まんぷく→スカーレット→半分、青い。→おちょやん」となる。現在放送中の「ギウギ」(NHK・主演:趣里)はわろてんかとと姉ちゃん、あたりに入ってくると思う(まだ放映中のため決められない)。

 本作はギの女王と言われて「東京ギウギ」等で知られる、歌手・笠木シヅ子を模した主人公福来スズ子を描く。ギウギってなんだというところなのだけれど、調べるとスウィングやシャッフル等のリズムを用いた反復フレーズのことらしく、じゃあスウィングとシャッフルの違いって何だ、と思って調べたがよくわからないというか、同じものなのじゃないのという気もする。いずれにせよ、跳ねたリズムのことであると思う。それでリズムに乗せ、気分をあげるような音楽形式のことをギウギと呼んでいるのだと思うのだけれど、ギウギに(音が)似た言葉としてリとかヒがある。

 何の話だと思うと思うけれど、リは日本で大便を排せつする際の擬音として用いられる言葉である。同様に放屁の擬音としてーというものがあり、大便を排せつする際思わず放屁というかーというような音が出ることはあると思う。一方で、リにせよ何にせよ、大便を排せつする際に必ず音が出る人は少ないと思う。

 またヒは、たの鳴き声である。ー等と形容されることもある。ヒとかーとか、なんとなくその言葉を発するのに恥じらいを感じる方もいらっしゃると思う。リは言わずもがな。「ギウギ」を観ながらそんなことを考えていて、何故日本語の「」にはなんとなく悪いイメージが付いているのだろうと、不思議に思った。リ、ー、ー、ヒ、考えてみたらヒと発するたもから始まる(このた野郎やめすた等の呼称を喜ぶ紳士淑女もおありと思うが、一般的にはあまり良いイメージの言葉ではない。もちろん、たたちには何の罪もない。)、他にサイクやス等も。

 たの語源は何だろうと思って調べてみると、諸説あるようだが例えば以下のようなものがある。

ブタと言う名前の由来は判然としませんが、ブタの鳴き声のブーブーからきていると言う説が正しいようです。更に丸々と太った姿から「太い」が「ぶっとい」になって、「ぶっとい」が、ブタと言う名前に変化していったようです。(出展:畜産茨城平成25年9月号

 っといも、使われるシーンによるだろうけれど、なんとなく嫌な響きの言葉だ(もちろん、っといが喜ばれる場合も存在すると思う)。サイクは細工、つまり細工の出来が悪いことが由来である。ではスは何であろう。

ブスといえば……、一般に「容姿がおとること」……。ところが、昔は「無表情」という意味で使われていました。もともと「ブス」は、漢字で「附子」と書き、トリカブトの塊根を意味し……猛毒となるアルカロイドが含まれているため、少量なら神経を緩和させる効能がありますが、誤って口に含んだり、量を間違えると神経が麻痺してしまい、無表情になったり、最悪死に至ることもあります。このことから「無表情」を「附子」というようになったそうです。(出展:「ブス」という言葉は昔はぜんぜん違う意味だった。気になる「ブス」の語源とは? | 歴史・文化 - Japaaan

 という語源だそうである。他に、と頭を巡らしていてッダや教、という良い意味のものも思い浮かんだのだけれど、これは外国語由来であろうから除外。外国語由来だと他にリリアントというのも頭に浮かんだ。「35億」のネタで一世を風靡した女芸人が両脇に従えていた with B がリリアントという男性二人組の芸人(関係ないけれど女芸人とは言っても男芸人という表現はあまりしない)なのだけれど、その真ん中にいた彼女の名前がどうしても思い出せない。閑話休題

 ただ士、士道もあるな、ということに思い至り、他にも化や章、担等、別に悪いイメージを持たない言葉はいくらでも思い浮かぶ。一方でのイメージを押し下げているのはのような気がする。先ほど紹介した細工に始まり、器量、格好、男等。器用であって評価されるのは高倉健くらいのものである。

 あるいはも、粋や愛想等。そもそも一般的に一文字だと「ふ」と読む「不」を、濁音をつけて「」と読むのは仕方ないとして、「無」一文字だと「む」の読みなのに、何故熟語になると「」と読むようになるのか。不足等の負(ふ)の意味合いを「」に押し付けようとする陰謀というか、黒い歴史があるのではないかと感じざるを得ない。

 とすると「」に重荷を背負わせているのは誰だろう。もしかすると同じ村で生まれ育った「ぷ」が黒幕なのではないか、とにらんでいる。同じ放屁の擬音であっても「ぷー」となると、なんとなく可愛らしく感じてしまうのは、私だけであろうか。大便も「ぷりぷり」と排せつされると、なんとなくほっこりしてしまう。「ぷんぷん」もさとう珠緒りっ子キャラとしてやっているくらい、なんとなく可愛らしさを纏う。「ふ」「」「ぷ」の中で圧倒的に「ぷ」だけが可愛いのである。そこんところ「」はもう少し考えて、「ぷ」とは少し距離を置く等、付き合い方考えた方がいいと思う。

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