哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

幸せとは何か

 
■幸せとは何か

幸せになる。今年の初め、ある会合で私は今年の抱負として、こう宣言した。

それからおよそ二か月が過ぎた今、思うことがある、幸せとは何か。

お手々のしわとしわを合わせて幸せとか、そんなものでないことは自明である。それでは私の宣言した幸せとは、いったいなんであったのか。

 

およそ、目標を立てるにあたって、数値化や確認ができない目標は立ててはならない。それは己を苦しめるだけである。私はある時、何を思ったか、他人を楽しませるといった目標を立てていたことがあるが、それを後日検証をする際に、はたと考え込んでしまった。つまり、相手が楽しんでいたのか否かは、私にはわかりようがない。もしかすると、ねえねえ、あの時楽しかったと聞けば、誠実に答えてくれる人もいるかもしれないが、その行為は私の数少ない友人を、より一層厳選する結果に終わるのではという、一抹の不安を抱き検証を中止した。それ以来、私はその目標を捨てた。

 

つまりこういった後で振り返って達成できたか否かよくわからない目標は立てても何ら意味がない。では幸せになるとは、のちに検証可能かと考えてみるが、おそらく不可能であろうと思う。なぜなら、幸せであることの定義が私の中できちんとなされていないからである。

 

ある人にこんなことを言われた。仕事でやりたいことが見つからない、という話を私がした時であった。それはこれをやりたい、というのではなく、こういう状態になっていたい、という風に考えればよいのではないか、と。

つまり私は、〇〇部に行きたいとか、〇〇の仕事をしたい、とか、そんな風に考えて、でもそれはそこに配属されなきゃ達成できないし、とか考えて、なんとなく具体的なイメージが持てずにいた。そうではなくて、他人から信頼されて相談されている状態、職場内でのコミュニケーションが活発で居心地が良い状態、などと考えれば、それは自分の力で実現可能であるし、具体的にイメージもしやすい。

 

幸せについても同じである。幸せになっている自分の状態をイメージしてみたい。

ということで、この話、続きます。

 
■今週のごはん

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今週はムーミンカフェに行った。もっと言うと、先週もムーミンカフェに行った。私はムーミンが好きである。しかし、二週続けてムーミンカフェに行くような、お洒落さんではない。しかし、結果として二週続けてムーミンカフェに行った以上、お洒落さんを気取るにやぶさかではない。いやむしろ、お洒落さんを気取ることが私の責務であるともいえる。お洒落さんになろう。