哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年6月の読書のこと「カフェから時代は創られる」

■カフェから時代は創られる(飯田美樹/クルミド出版)のこと

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cafe tento(千葉市)/Janat(渋谷区)/cafe Five(千葉市)/イノダコーヒ京都市

 本書はカフェ文化研究家、パブリック・ライフ研究家の飯田美樹さんによる、1900年代初頭のパリのカフェに集った天才たちの物語。2008年にいなほ書房から限定部数で刊行された『caféから時代は創られる』だが、その後希少な存在となっており、2020年にクルミド出版が増補改訂版として刊行したものである。

●カフェから時代は創られる

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クロズリー・デ・リラのテラス(1909年)/ラ・ロトンド店内のキスリング、パクレット(女優)、ピカソ(1916年)/1900年頃のカフェ・ド・フロール:3枚ともWikipediaパブリックドメインの写真を借用しました。

 まず、本書が如何なる本であるか、三名の人物がSNSに投稿した感想を以下に引用する。本書のざっくりした魅力を感じ取ってほしい。

カフェから時代は創られる (飯田美樹 /クルミド出版 )を読んでいます。フランスのカフェの名店がいかに、ピカソ藤田嗣治ボーヴォワールヘミングウェイといった、天才を生み出したのか、というお話です。作中語られるサードプレイスの概念を、私はスタバでのアルバイト経験のある友人に教わったことがあります。しかしこれを読むと、フランスのカフェのような意味でのサードプレイスは、日本には少ないのではないか、と感じます。人々が偶発的に出会い、話し合い、高めあっていく。そんな場所が作りたい。私がいつか自分の本屋さんを持ちたいのは、そんな場を作りたいからかもしれません。また文学カフェを目指しても文学カフェにはならない、というのが、面白いと思いました。店主は客をもてなすだけ、文筆家の活動に口を挟まず、何も知らないからこそ、客は自由に議論し、そのカフェに通えるのだ、という理論。逆説的ですが、なるほどと納得しました。いま、目の前の人に集中すること、それが何かの形に繋がるのだなと思います。―― sak_tak_0128 さん

私はカフェが好きです。自宅だと別のことに気を取られることが多いので、読書に行ったり。最近は個人経営のカフェの主人と顔なじみになったので、訪店時に挨拶、雑談をするのも、私にとって大切な時間となっています。かつてのパリのように、もっとコミュニティとしてのカフェが繁栄すればいいのですが。―― 仇櫻堂(アマチュア 書店業・出版業・文筆業) さん

読み途中の本です。『カフェから時代は創られる』飯田美樹/クルミド出版。今は、“天才は天才であったのではなくて、天才になったのだ”みたいな話をなさっています。ここからどういう風に議論が進むのか、とても楽しみ。―― bulk78_ さん

 若き日のピカソは、モンマルトルにあった、洗濯船と呼ばれる若い芸術家たちの共同アトリエで生活、活動をしていた。他にモディリアーニや詩人のアポリネールポール・フォールらが集っていたとのこと。その後、芸術家たちの活動の拠点がモンパルナスへと移っていったのが1900年~1910年以降のこと。モンマルトルはセーヌの右岸、パリの北側に位置し、反対にモンパルナスはセーヌの左岸、パリの南側に位置する。

 モンパルナスの文化の中心的存在であるカフェ、ロトンドがオープンしたのが1911年だそうである。Googleマップで検索した限りであるが、モンマルトルからモンパルナスへは、徒歩で60分程、メトロを使えば30分程で移動できる距離。本書ではそのモンパルナスで芸術家、文学者らが集った、ロトンドや向かいのザ・ドーム、フロールやクロズリー・デ・リラといったカフェについて触れている。

 さて、本書で取り上げられたカフェの雰囲気は、現代の日本人が思い浮かべるようなカフェとは違っていたそう。当時のパリのカフェは、ただコーヒーを飲みに行くところではなかったようである。もちろん、行けばコーヒーは飲むのだが、あくまでもそれはカフェに入るための入場料のようなもの。一杯のコーヒーで長時間、執筆・創作活動をする。そうしてカフェですごしていると、知り合いが話しかけてきたり、あるいは自分と同じような作家やら画家やらに出会ったりする。そういう偶然の出会いや議論のための場所であったようである。

 今から100年前、スマートフォンはおろか、電話も存在しない時代。本書では結婚して洗濯船を出て、他所に家を構えたピカソが、アポリネールと会うために速達便を送り合うも、なかなか予定の調整ができなかった、というエピソードが紹介されていて、納得した。電話もメールもない時代、忙しい人同士が予定をすり合わせて会うのは難しい。彼らは我々が気軽にPCやスマートフォンを起ち上げ、TwitterInstagramのアプリを開く感覚で、カフェに行っていたのだと思う。彼らにとってはカフェが仕事と生活と交友の場であったのだ。家に暖房がないものはカフェに行って暖まっていた。コーヒーメーカーなど無かった時代、コーヒーを飲むこと自体も、価値のあることであっただろう。そして何より、集中して仕事をして、さらに他人と出会って情報交換、意見交換をすることができた。あらゆる可能性に対して開かれていたのが、当時のカフェであったのだ。

 本書ではコラムの一節で「サードプレイス」という概念が紹介されている。本書で描かれる100年前のパリのカフェこそ、まさにサードプレイスであるのだが、本書が最初に執筆された2008年当時は、このオルデンバーグが提唱した概念が邦訳されていなかったそうで、本文には登場しない。ただしこのサードプレイス概念、家庭でも職場でもない、第三の場所であることのみが日本では強調されがちだか、そこで偶然に誰かと出会うことのできる開かれた場所であることが大切なようである。その点、パリのカフェはまさにそんな場所であったようである。パリのカフェのテラス席は外向きに配置されていて、二人で来ても、横並びで通りを見るような形になる。だから、座った人は通りを行き交う人々を風景として眺められるし、通りの人々は知り合いを見つけて、カフェにやってくることもできる。

 そうした場所を活用したパブロ・ピカソ(アトラクターとして多くの後輩たちを惹きつけた)や、藤田嗣治シモーヌ・ド・ボーヴォワールアーネスト・ヘミングウェイらのエピソードが、本書にはたくさん紹介されている。カフェに集った天才たちは、たまたまパリのカフェに天才として集ったわけではない。カフェという場所が、文学や芸術を志す、どこにでもいる若者たちの中から、彼らを天才に育てたのだそうだ。成功するための知識や人脈を与えた。

 彼らは驚くほど規則正しく生活していたそうである。酔って狂乱するではなく、朝早く行きつけのカフェのお気に入りの席を確保し制作に励んだ。社交から生まれたアイデア、インスピレーションを、勤勉に腕を磨くことで作品に仕上げていった。そうして彼らは天才になっていったそうである。

 今、日本にこうした場所は、そうは多くないだろう。誰もが均等に情報にアクセスできる現代は、誰もが等しく凡人となる時代なのかもしれない。とまれ、この本を読んだ一番の感想は、そんなパリのカフェのような場を作りたい、というものであった。私はいつか脱サラして本屋をやりたい。もう一つ、カフェをやりたい、という気持ちもある。いずれにせよ、人々が笑顔で語り合ったり、高め合ったりする場所が作りたい。将来の私の店(何屋さんかは、未定)のオープンに向けて、大きな刺激を受ける読書であった。

 本書の最後に、発行人より本の紙、フォント、表紙のデザイン等々について、説明するページがある。こういう本は初めてみた。(いや、そういえばフリーペーパーで使用フォントを記載しているものはあったか……。)物としての本作りに、こだわりが感じられ、たいそう面白く、勉強になるページであった。クルミド出版の本を他にも読んでみたいと思える、読書であった。

■ちょっと関連

www.la-terrasse-de-cafe.com

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