哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年4月の徒然なること

■2021年4月の徒然なること

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2021年3月26日 月と桜(東京都渋谷区)

●まん延防止等重点措置のこと

 2021年4月12日(月)から5月11日(火)を対象期間として、新型インフルエンザ等対策特別措置法第31条の4に基づくまん延防止等重点措置が、東京都の23区と6市に適用されることとなった。1月8日(金)からの(二度目の)緊急事態宣言(同法第32条)が3月21日(日)をもって解除されて、わずか3週間程のことである。(3月20日(火)からは我が千葉県でも(、拙宅のある千葉市は含まれていないが)、5市がまん延防止等重点措置の対象地域となる予定である。)

 なお東京都における1月8日報告の新規陽性者数は2,459人、3月21日が256人、4月12日が306人、新規陽性者数は曜日(検査数と結果の出る周期)によって変動するため、曜日の異なるこの3日を比較する意義は薄いけれど、2000人超の新規陽性者を受けて発出された緊急事態宣言が、新規陽性者の減少(発出時から約9割減)を受けて解除され、その後新規陽性者数が底を打って微増を始めたため、まん延防止等重点措置を適用したという物語は、かろうじて成り立ってはいる。

 かろうじてと書いたのは、緊急事態宣言が解除される直近の2週間(3月8日~3月21日)の東京都の新規陽性者数が116~409人の間で推移しているのに対して、その後まん延防止等重点措置が適用されるまでの3週間(3月22日~4月11日)は同187~570人と、”そもそもずっと新規陽性者が3桁レベルで出続けている(悪い)状況であったにもかかわらず、緊急事態宣言を解除した挙句、名前を付け替えただけで先の緊急事態宣言と内容に大差のない措置が(大して状況が変わったわけでもないのに)またすぐに始まった”ようにも見えるからである。

 もちろん、こうした宣言や措置を発令することによって、地方自治体に対して感染拡大防止の要請を出すための根拠を与えているわけで、それぞれに意味はあるのだと思うけれど、その最終的な完成形である都等の要請を見ていると、なんとなく緩く実効性の薄いものに仕上がっている、という印象である。

 先日も厚生労働省職員が大人数での送別会を深夜に渡って行っていたことが発覚し問題となったが、何故そうまでして大人数で会食がしたいのだ。会食は厳禁として、一方で飲食店での個食やテイクアウトを積極的に行う、こうすることで飲食店の経営を圧迫せずに感染症対策ができるように、素人目にはそう見える。行政からの制限に期待せず、国民一人一人が自制することが肝要ではないかと思うのだ。

 

●ある朝のこと

 2021年3月の下旬のこと、なんとなく不意打ちで桜が満開になってしまい、まるでヒトがお花見の予定を立てるのを阻止するフェイントかのような、そんな今年の桜あった。私はある晴れて穏やかな朝、桜を愛でながら歩いていた。頭の中ではどういうわけだか、椎名林檎の「罪と罰」のギターソロが鳴り響いている。そしてギターソロのような音楽的な文章を書きたいのだと、不意に思ったのである。

 どぅどぅどぅどぅたたきゅぃぃぃぃーーーーんたらららんたらららんとぅとぅっっ……、違う、そういうことじゃない。

 こうして文字として見えている文章は、でもきっとそれを声にして読むこともあるわけで、声に出された文章にリズムが生まれるように、文字として見られている文章にもリズムがあるのである。あるひと固まりの文章の連なりが一つの曲だとすると、そこには耳に馴染むような主旋律の他に、時に耳にぶつかりながらも印象を残すギターソロがあるべきなのである。そういう部分がないと、その文章はどこにも引っかからずに埋もれていってしまうような、そんな気がする。

 じゃあ、今日の記事のどこがギターソロなのかと聞かれると、ちょっと困ってしまうのだけれど。

●思い出せないこと

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つだぬまや(千葉県船橋市

 最近、とみに記憶力が悪くなった気がする。というか、そんなことを以前にどこかで書いた気がするのだけれど、それも思い出せない。これが私の100歳の祖母の話なら良いのだが、32歳の私自身の話であるため、困ってしまう。

 昨年2020年から少しずつ、競馬を真面目に見るようにして、今年に入ってからはできるだけ毎週勝馬投票券を購入して、国(農林水産省)の歳入増に努めているところであるが、今週末4月18日(日)の皐月賞の予想をしていて、その前の週の、桜花賞の自身の本命馬を思い出せないことに気がついた。かろうじて勝ち馬ソダシは覚えているけど、本命にした結果18着(最下位)に沈んだあいつ(メイケイエール)の名前が、思い出せないのである。その前の大阪杯に至っては勝ち馬(レイパパレ)、本命馬(サリオス)いずれも不明……。

 学生時代まではもっとすらすら馬の名前が入ってきた気がする。馬の名前くらいならともかく、もっと大切なことすら忘れてしまうのではないか、と思うと、不安になるが、馬の名前よりも大切なことが学生時代よりも増えたから、馬の名前を忘れてしまうのかもしれず、それはそれで、よいことなのかもなぁ、とも思うのである。

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