哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

幻の東京五輪

■幻の東京五輪

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●青木直樹(当時、58歳会社員・所沢市)の証言

 運良く、開会式に当選したんです。インターネットで抽選でした。申込みの初日には、Webサイトへのアクセスが集中して、一時間待ちとか、ざらでしたね。家族で観に行って、新しくなった国立競技場が、世界各国から来た人々で埋め尽くされて、壮観でした。

 開会式の演出は狂言の野村千斎さんがなさったんです。歌舞伎の市川團五郎さんも出演なさって、日本の伝統芸能に加えて、こう、きらびやかな音と光の最先端技術を尽くして。

 え、競技ですか? 実はそちらはあまり。横浜スタジアムの野球だけは当選して観に行きましたが、オーストラリアとプエルトリコの試合でした。日本の試合を選べたわけではないのです。日程ありきの抽選で。でも毎日、テレビ中継を観ましたよ。印象に残っているのは? マラソンですね。各国のランナーが東京の街中を駆け抜け、かっこよかったなぁ。日本の三山選手が一等でゴールテープに飛び込んだんです。うだる様な暑さの中、本当に苦悶の表情で走っていたのが、ゴールした瞬間、やり切った、晴れやかな表情に変わるんです。すごかったですよ。

●高根茜(当時、29歳フリーター・新宿区)の証言

 新型コロナウイルス、いま思えばあれは何やったんでしょうね。東京オリンピックが開催された2020年の頭くらいから、そんなウイルスが世界中で大流行して。はじめは中国の武漢で発見され、武漢・痴漢・アカン、とか言っているあっちゅうまに、日本も、欧米も、本当に世界中に広がりよって。

 無観客のオリンピックなんて、しょーもないですよ。テレビをつければ、声援もなんもないグラウンドで、選手の息遣い、足音、全部聞こえよるんですわ。それは新鮮ではありましたよ。観ごたえはあった、けど、せっかく東京でやってはるのに、うちその頃夢があって、東京にいてはったんですよ。せやのに、生で観られへんなんて、けったいやわ。

 そんで、東京オリンピックが終わったら、中国が開発したっちゅう特効薬ができて、すーっと、そんなウイルスこの世になかったかのように消えていって。ホンマにあれ、なんやったんでしょう。

●宇都絵都(当時、3歳無職・千葉市)の証言

 当時のことですか? 全く覚えていません。ごめんなさい。

 私が住んでいたのは、千葉市の検見川というところなのですが、今の東京大学検見川総合運動場、当時は何と呼ばれていたのか……。ともかく、大きなグラウンドがあって、天然の地形を生かしたアップダウンのある敷地なのですが、そこで近代五種のうち、クロスカントリー競技が行われました。ました、と言っても、何も覚えていないのですけど。私も父の背中におぶされて、観に行ったそうです。でも、それも物心ついてから、両親に聞かされたから知っているだけで……。お役に立てなくてごめんなさい。

 え、その他の思い出ですか? うーん、今だから裸足の英雄アペペ選手とか、知っていますけど、本当にリアルな思い出はないですね。オリンピックと言っても、そんなもんですよ。

●太平太兵衛(当時、20歳自営業・真壁郡大国村)の証言

 東京市でそんな競技大会が開かれる予定だった事は知ってるけども、おらたち百姓には関係なかったねえ。結局、戦時中のことだから、中止になっちまって。原因となった満洲事変について、きちんと事情がわかったのは、戦後になってからだ。満洲事変があって、オリンピックが中止になって、赤紙が来た。

 戦地は地獄だった。大本営発表は嘘ばっかりだったよお。おらたちは敗戦濃厚の中、サハリンの最前線に送り込まれて、命からがら。

 すまんねえ、オリンピックのことだったねえ。確か、中止になって、どこだかって、欧州の国が代わりになって、だけんども向こうも戦争さ激しくなって、中止になったって聞いてるよお。日本は代わりに、国体をやったんだあ。平和なもんだ、戦時中に。まったく。

●遠藤紗矢(当時、37歳会社員・横浜市)の証言

 東京2020、それが当初のスローガンでした。2020年7月24日(金)から、オリンピックが始まる予定でしたから。最寄りのJR中央総武線千駄ケ谷駅は、そこに向けて改修に入り、改札の場所や構内の動線の変更、ホームドアの設置等、国内外からの人出が、スムーズに乗降できるように工夫されました。

 もちろん、舞台となる国立競技場も、ザハ氏の設計等の混乱はありましたが、形が決まってしまえば着々とできあがり、当時、私は千駄ヶ谷の建設関係の会社で経理をしていたので、競技場が形になっていくのを、出退勤時に楽しく眺めていました。

 職場の近くに能楽堂があるんです。そこでも、オリンピックに向けてインバウンドを呼び込むイベントをしたり、世の中が盛り上がっていました。社内でも、オリンピック期間中、千駄ケ谷駅から出勤できるのかなって、外国人であふれかえるんじゃないかなって。そんな話題も出ていました。それがコロナのせいで、2020年に予定されていた大会は一年後に延期になりました。

 でも、本当の地獄はそれからでした。翌2021年。オリンピックのためだけじゃないんでしょうが、政府は感染終息のために、国民に対してワクチン接種を義務付けました。はじめは、何ともなかった。副反応もなく、そもそも効いているのかどうかも、よくわかりませんでした。一月程後のことです、ワクチンを打った人が次々と笑い出しました。あちらこちらで、不気味な高笑いが聞こえ、日本中が、いえ世界中が、不自然な笑いに包まれました。そんなこんなで、2021年のオリンピックも中止になりました。今はこんな、怪しげな笑い声に包まれた世界が、一日も早く落ち着くのを祈るばかりです。

 え、私ですか? ワクチンを、打てなかったんです。私、見ての通り、人間じゃなくてさやえんどうなので。人間用のワクチンはちょっと。

●阿戸絵都(当時、60歳主婦・千葉市)の証言

 実は私、前回の東京オリンピックも観ていたんです。まあ、本当に物心つくかつかないかの頃で、よく覚えていないのだけれど。

 でも、人生で二回も、東京で開催されるオリンピックを観る機会なんて、なかなかないじゃない。だから少し楽しみにしていたのだけどねえ。結局、できなかったねえ。2020年の初め、コロナは数か月で落ち着くと思っていたら、あれあれと思っているうちに、夏のオリンピックが延期、よもやと思ったら、2021年も収まらず、こうしてマスクを着けて外出することが普通になってしまったのだものねえ。

 え、確かちょうど2021年が私は還暦でしたよ。それからまた何十年もたったねえ。あなたたちみたいな、若い人たちは覚えてないよねえ、あれ、生まれてもいなかった? まあ。それ以前はマスクなんてしてなかったのよ、病気や花粉症の人しか。その当時は誰もが外出するときは、パンツを履いていたの、股間を隠す下着ね。今じゃ、逆だからねえ。マスク無しで外出するなんてできないけど、その分、パンツ履いている人なんていないものねえ。不思議なものだねえ。

●佐倉鷹雄(当時、32歳会社員・松戸市)の証言

 こちらは2021年の3月7日(日)だ。聞こえているかな。 

 そうだ、本来であれば東京でオリンピックが、前年の夏から延期になってだけれど、とにかく開催される年だ。どうなるか、それは分からない。政府や都は、オリンピック開催の方向へ、進みたがっているように見える。

 とはいえ、新型コロナウイルス感染症の状況は、全く芳しくない。この数週間も、緊急事態宣言下にも関わらず、人出が減っているようにも見えないし、実際に新規感染者数を見ても、都内で300人前後、千葉県内でも100人超等、依然として高止まりだ。この間テレビで見たが、今日で期限となる緊急事態宣言を2週間延長すると、オリンピック開催の頃の新規感染者数が、1,000人から500人に減る見込みなのだそうだ。お笑いだよ、500人だろうと、1,000人だろうと、国際大会なんてできっこない。

 結局、緊急事態宣言はさらに2週間延長となった。確かにオリンピックは観たい。僕も地元の千葉県でやる競技に申し込んで、フェンシングのチケットを手に入れていたんだ。そりゃ、観たいさ。自国開催のオリンピックなんて、滅多にない。だけど、みんなが心から笑って、平和を享受できる内容で実施するためには、今じゃないんだ。仕切り直すべきなんだよ。

 僕は、そう思う。聞いてくれてありがとう。

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