哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

日本テレマン協会第285回定期演奏会 @東京文化会館 のこと

■日本テレマン協会第285回定期演奏会東京文化会館 のこと

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 東京文化会館小ホールにて開催された、以下のコンサートの感想である。

日本テレマン協会第285回定期演奏会
鷲見 敏(チェロ) J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲
【曲目】
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲
第1番 ト長調 BWV1007
第2番 ニ短調 BWV1008
第3番 ハ長調 BWV1009
第4番 変ホ長調 BWV1010
第5番 ハ短調 BWV1011
第6番 ニ長調 BWV1012
【出演】
バロックチェロ/ピッコロチェロ:鷲見敏
●考えたこと

 クラシック音楽をこうしてどっぷり聞く経験は、ほぼない。休憩をはさみつつ約3時間、チェロ一本で奏でられる調べを聞き続けるのは、不安しかなかった。しかし実際に伺ってみると、まず東京文化会館小ホールの雰囲気の良さが気に入った。良い意味でこじんまりとしていて、がっぷり構えて音楽を聴くというよりは、座ってなんとなく考え事をしながら、音に耳を傾ける、そんなことができる空間だと感じた。
 故あって、このところよく能楽を鑑賞するが、能の詞章は聞き取りにくい上に、古文のため、意味を取るのが難しい、でもそれなりに物語があって、ちゃんと調べていけば、一つ一つの型や謡は何かを表現している。今回は上に記したとおり、わかりやすい曲名がついているでもなし、歌がついているわけもなく、そうしたよすががまるでないため、ある種、能よりもハードモードである。
 もちろん作曲時点でバッハがイメージした主題や、描きたかったエピソードはあったのかもしれないし、ちゃんと調べればそうした曲の主題は、すでに読み解かれているのだろう。しかしそんなことを知る由もない私にとって、今回の鑑賞で頼りにできるのはチェロの奏でる音だけであった。それでも伸びやかに、優しく響くチェロの音から、なんだかよくわからんイメージがたくさん出てくるのを自由気ままに遊ばせるのは、楽しい時間であった。
 聞く前に感じていた不安は(多分半分くらいは)杞憂に終わった。少なくとも、何もわからずさっぱりということはなく、それなりに明るくなったり、荘厳になったり、軽くなったり、固くなったりする曲々から、色んな情景を得られた。

 私がコンサート中、いかなる妄想を抱いていたのかを、以下に記す。

●聞いたこと、そして、妄想したこと

 コンサートは聞き覚えのあるメロディではじまった。明確に聞いた記憶のあるメロディはこの「第1番 ト長調 BWV1007」のPreludiumのみであった。生楽器の響きの心地よさを覚えた。スピーカーやイヤホンを通して聞く音とは、何かが違った。伸びやかである。曲調は明るくなったり、荘厳になったりする。重さと軽さが交互に訪れるようであった。それはときに季節が移ろい、冬から春になり雪解けするように、そして不思議な世界に足を踏み入れるようでもあった。

 「第2番」に至り、物悲しくうら寂しくなる。コンサート会場を遠く離れて考え事をする私を無視して、音楽はあっという間に進む。当時(ヨハン・ゼバスティアン・バッハは1685年生、1750年没)の人々はいかにこの名前のない曲たちを楽しみ、記憶していたのだろう、と思う。

 休憩をはさんだ「第3番」、私の妄想は飛躍する。ヨーロッパ風の街並みや建築物が見えるが、これは明らかに安っぽいクラシック音楽のCDジャケット等の影響である。曲は疾走し、私のことを遊びに誘い、くるくると目を回させる。

 「第4番」が、ガタガタとぶつかるような印象で始まる。私の目の前にある秋の夕刻の大きな川が見える。野原を穏やかに走るそれは、郊外に流れ込んでいく。あるアパルトマンの2階に住まう若い画家は、窓から夕日に染まる川を眺める。やがて日は沈んでいき、夜の街に家々の灯りがともるころ、彼女は一軒のカフェに向かう。きらびやかな灯りが、カフェの窓からこぼれている。彼女が描いていたのは、ある宮廷の風景である、磨き上げられた鎧に身を包んだ兵士が、壁沿いに控えている。私はその宮廷の塔の階段を昇ったり降りたりしている。宮廷の外を見れば、勇ましい騎馬隊がきびきびと行進し……。

 また休憩。「第5番」では、ある男の悩みにずっと向き合うことになる。先ほどの川と同じ川か、いずれにしても季節は冬である。彼は延々と悩んでいる。

 「第6番」において始まったお祭りで、人々は舞踊を披露する。ときに重く悲しく、ときに激しい動きで、再び明るい春が訪れて、大団円を迎える。

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