哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年2月の読書のこと「球道恋々」

■球道恋々(木内昇/新潮社)のこと

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cafe five(千葉県千葉市

 木内昇作品はどれも好きで、江戸という失われゆく時代を思う『漂砂のうたう』や様々な視点で新撰組を描いた『地虫鳴く』等が印象的。何となくどれも物語に影が落ちるような印象がある。

 そんな中で本作もどこかしんみりとはさせられる作品(登場人物の死や、そもそも日露戦争第二次世界大戦の狭間の、日本国内が落着いていた時代の物語であるため、その後の歴史を思わざるを得ないの)だが、それ以上に爽やかさ、熱さが前に出た物語で、惹き込まれて一気に読んでしまった。

 以下に感想を記す。

●読んだこと

 舞台は一高(旧制第一高等学校)野球部。と言っても私にはとんと馴染みがない。旧制高等学校は、3年制で帝大予科(予備教育機関)としての性質を持っており、1950年に廃止されたそう。(旧制)大学は現在の大学3〜4年生、予科旧制高校)は現在の大学1〜2年生というイメージのようである。そう、本書でも触れられているが、登場する学生たちはみな、要はエリートたちなのである。当時の帝大といえばまさに、国の未来を背負って立つ人材を生産する、日本のリーダーを育成する機関。その予科に通学している時点で、彼らは超エリートである。

 本書で描かれるのは1900年代初頭の一高野球部の様子。そんな若者たちが野球というスポーツに向き合う姿を瑞々しく描いている。主人公の宮本銀平は一高野球部OBでありながら、現役時代はずっと補欠、家業(表具屋)を継ぐため帝大進学を諦めたけれど、結局その道も断念、現在は業界紙(全日本文具新聞)の編輯長という、挫折の人。彼が(他のOBに比べて時間に余裕がありそうだという理由もあって)乞われて、一高野球部のコーチになるところから話は始まる。

 銀平の在学中やその前後の一高野球部は無敵、京都の三高や周辺の私学のみならず、横浜のアメリカ人チームに勝利する、栄光の時代。それから十数年の月日が流れ、久々に野球部の様子を見た銀平は三高に辛くも勝利する一高の姿を前に、驚くことになる。もはや、アメリカに留学して野球を学んでくる早稲田や慶應といった私学に敵おうはずもない。私学は白リンネルの上衣に綿入り洋袴(ズボン?)、革ベルトのユニフォームを着ていたそうである。対して一高は官営のため運営費は雀の涙、洋袴を兵児帯でぐるぐるに巻いて、七分袖の白シャツ、足元は地下足袋であるという描写がある。とはいえ、銀平の現役時代はグラブもなく、膝下で切った洋袴と、より貧相な出立をしていたそうでそれよりはマシだそう。なお物語が進むにつれて、スパイクやアンダーシャツ等が登場してくる。そもそも現在(2022年)の野球では普通に行われている戦術であるブント(バント)も、この当時に持ち込まれたようで、一高の老鉄山中野武二は武士道にもとるとして、その戦術の研究自体を終盤まで忌避している等、現在の感覚とは大分異なるベースボール(野球)文化であったようだ。

 物語の後半はNHK大河ドラマ「いだてん」で半裸になって、T!N!G!と騒いでいた天狗倶楽部が登場して、押川春浪中沢臨川らが活躍する。銀平は一高のコーチとして人脈を辿る中で春浪と出会い、羽田運動場(京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)の電気課長であった中沢臨川が、一般人に体育を奨励するという春浪の提案で上層部を説得して建設した運動場。「いだてん」で金栗四三三島弥彦が五輪出場を決めたあれである。後の羽田飛行場。)の杮落し試合を観戦に行くが、そこで出場選手の怪我から急遽、東京倶楽部(後の天狗倶楽部)の遊撃手を務めることになり、後に天狗倶楽部に加わることになる。

 物語の序盤から個人主義ニーチェ哲学)の流行との絡みもあり、野球は野蛮なスポーツであると非難され、一高は新入部員の獲得にも苦労していたが、後半では東京朝日新聞が連載で行った(学生)野球に対するネガティブキャンペーン、野球害毒論争が話題の中心となる。グラブでボールを捕球する時の振動が脳に伝わり機能が低下する等のトンデモ論もあったそう。こともあろうに第一高等学校長の新渡戸稲造が連載の一回目を飾り、乃木希典学習院長や永井道明東京高等師範学校教授らが野球反対の論を展開した。これに対して春浪らは、読売新聞の1911年「野球問題演説会」において野球擁護を訴え、主人公の銀平も飛び入りで演説する羽目になる。野球の国民的人気の高まり等がこの論争の背景にあるそう。この騒動を経て最終盤、朝日新聞大阪朝日新聞の主導で全国中等学校野球大会(1915年~。現全国高等学校野球選手権大会、いわゆる甲子園)を始めることになることが示されて、物語の幕が下りる。

華やかなプレーで目立ちたいと下手な欲心を出すや、空回りの挙げ句失策を重ねる羽目になる。反対に、ティームのために身を捧ぐと覚悟を決めると、要所要所で確実な働きができるのだ。(主人公宮本銀平の考え)

「だいたい俺は、若ぇ奴のほざく個人主義なんぞ、もともと一切認めてねぇのだ。経験もろくにねぇ奴が、いっくら己を掘ったってなんにも出ねぇだろう。人に接して揉まれる中で、ようやっと己の輪郭ってもんが見えてくるんじゃねぇか。……」(押川春浪の言葉)

「いえ。普通はその程度で辞めるんですよ。職なんてなぁ、世の中に腐るほどあるんですから。一つ駄目ならまた次に行きゃあええんです」(主人公宮本銀平の妹雪野の夫柿田寿彦の言葉)

運動場では理知的に見えていた中沢が、酔うにつれて誰彼構わず「馬鹿野郎」と罵倒し始める。(押川春浪ら天狗俱楽部の飲み会での中沢臨川の様子)

「もちろん自分に向いたものが見つかりゃあいいが……それが仕事なら尚のこといいが、でも実際にゃあ、一生掛けてもそういうものが見つからない人間のほうが多いんじゃあなかろうか」(主人公宮本銀平の言葉)

●考えたこと

 主人公やその勤め先の同僚、家族以外はほぼ歴史上の人物だそう。冒頭で触れた、『地虫鳴く』はまさに新撰組の史実から構成、『漂砂のうたう』では三遊亭圓朝門下のぽん太が登場するなど、過去を調査しそこから実在の人物たちに肉付けして、彼らのドラマを色鮮やかにいきいきと描き出す、木内昇はそんな印象の作家である。

 本作では、野球をやっている銀平や春浪は、何かにつけて仕事や人生のあれこれを野球に喩えたがる。銀平の部下の山藤や一高の川西はそのことを非難しているが、前項で引用した五つの内一つ目と二つ目、銀平の考えや春浪の発言はなかなか考えさせられるものだと思った。私の中には何もない、それを改めて思い出させてもらった。だからこそ自分の中から湧き出てきたものよりもチームとして、会社や部署あるいはプライベートにおいても集団としての方針に導かれて、流されているうちに何か私というものの形ができあがって、個性が生まれてくる、のではないかと思うのだ。

 銀平をはじめ野球に関わる人は皆、執拗なまでに野球に携わり続ける。そんな銀平に対して父の銀之丞は、そんなことで仕事に身が入るのかと忠告をする。春浪は野球害毒論に反論したために、「冒険世界」を発刊していた博文館を離れることになる。一高野球部で戸田に投球を指導し、哲学を究めることを志す川西は、自身が良い投手であるにも関わらず、かたくなに自らプレイをすることは避ける。

 野球をやるとはそんな大それたことなのか。一生を賭けるようなことなのか。あるいは仕事をするとは、その職に全てを捧げないといけないものなのか。仕事や学問の傍らに野球をやってはならぬものなのか。三つ目の引用のように、銀平の義弟の柿田はシンプルで淡白だ。妻の雪野との間に生まれた銀蔵、これをどうにもかわいく思えず、職も家族も捨ててしまおうとする。自分がいなくなっても、捜す人間もいなかろうと思って。現在の日本人は柿田ほどではなくとも、淡白で自由な人が多いのではないかと思う。当時の人々はより一つの道を究めることに熱心だ。その中で自在に道を切り替えようとする柿田、あるいは銀平は複数の道を進もうとする。何が良いのかはわからないけれど、各自に合った道が選べる自由こそが大切であろうと思う。

 天狗倶楽部の様子を、実際こんな空気感なのだろうと、想像するのは楽しい。銀平の妻明喜は、常に明るく立ち振舞って、銀平と言い合いになると適当な所で「七里けっぱい」と煙に巻いて、姿を消してしまう人だそう。銀平の周りには面白い人間が集まっている。銀之丞や柿田も、野球部にも編輯部にも、曲者が揃っている。銀平の周りの人間たちのドラマがリアルで、その空気を楽しむことのできる作品で、銀平が少し羨ましくもある。

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