■クラウド環境の脆弱性に関する一考察
私はパソコンを持っていなかった。いや、正確には持っていたのだけれど、それはネットにつながっいないWindows XPであり、十五年物くらいの物理的にも機能的にも重いものであった。その子はデジカメで撮影した写真を保存する箱であり、時折ワードで大学のレポートを書いたり、趣味の小説を書いたりするためのワードプロセッサーであった。印刷はUSBに移して、しかるべき場所で印刷した。データの送付はやはりUSBで持ち運び、ネットカフェ等でオンラインのパソコンを使って、メール送付をすればよかった。そんなパソコン生活を、私はつい半年くらい前まで続けていた。
私がパソコンを思い切って購入したのは、自分の心身の安定のためにいつでも文章をつづれる環境が役立つのではないか、と考えたからであるが、何より驚いたのはONE DRIVEなる、マイクロソフトさんのクラウドサービスである。データを持ち歩くのにUSBを使い、保存のためにDVDに焼き付けていた私のもとに、クラウドなるものがやってきたのである。私のパソコンは滅多やたらと、私が書いたもの、作ったファイル、撮影した写真を、クラウドなる空間にアップしたがる。そんな得体のしれないところに保存して、大丈夫なのかい、心配する私を他所に、彼女の記憶は、もわもわとした雲に次々とかすめ取られていく。私が彼女に話して聞かせた物語も、彼女の瞳に映った私の姿も、全てもわもわ魔人と共有されていくのだ。
しかしである、仕組みがよくわからないのにも関わらず、使っていくとこれがなかなか便利なのである。自宅でパソコンで作成したデータを、移動中のスマートフォンや、出先のパソコンを通して、閲覧編集できる。そんないろんなところからいじって、同じ文書の様々なバージョンが混在してしまうのではと心配であったが、時折アップロードできていないことがある程度で、問題なさそうであった。すごいすごい、私は彼女の持ち物を新しくするたびに、もわもわ魔人にも同じものを買い与えた。いや、むしろ、もわもわ魔人の持ち物を変えるついでに、彼女の持ち物も変わっていく、そんな印象であった。
そんな生活が続いた、ある日、である。というか今日である。私は彼女とおしゃんな喫茶店に出かけて、さっそうとブログの編集をしようとしたのだが、上手くネットにつながらない。どうしたんだい、ハニーと語りかけても、彼女は一向にWebにアクセスできないのだ。気が付くとカバンの中から、うめくような声が聞こえていた。どうした、驚いて私が中をさぐると、モバイルWi-Fiルーター氏が虫の息で苦しんでいた。すまぬ、ワシとしたことが……、バッテリがっ……。そういって、ルーター氏は死んでいった。
もはや彼女は完全なスタンドアローンになり果てていた、ブログを書こうにも、はてなブログにアクセスできない。調べ物をしたくともできない。おまけに日々使っているエクセルのファイルを開こうにも、最新版でない。ねえねえ彼女、これ、もわもわ魔人に新しい情報を伝えておいたのだけれど……、知らないわそんなこと、今日はまだ、あたし、魔人さんと話していないもの。そうなのである、クラウドを過信してはいけないのである。彼らはWeb にアクセスできなくなったとたん、知らぬ存ぜぬを決め込むのである。奴らはどうも信用できない、私は再びもわもわ魔人に敵意を向けるものである。
だから私は今、喫茶店の席について彼女と向き合い、ワードファイルに向けてこの文章を書いている。この文章はいずれ帰宅して、はてなブログに投稿されることだろう。はてなさんしかり、これを今読んでいる皆さんしかり、多くの人の目に触れられる状態になるのだ。しかし今は、この文章は彼女の中だけになる。私と彼女、二人だけの記憶である。そしてそれは、本当にかけがえのないものなのである。