■幕張少年マサイ族(椎名誠(イラスト=沢野ひとし)/東京新聞)のこと
作家の椎名誠のことを、私は中学生くらいの頃(今から20年程前)からずっと好きである。出会ったきっかけは馬であった。書籍でも何度か、モンゴルで遊牧生活をされている方のことを書かれていて、確かそうした旅の様子がテレビ放映されていたのではないか、と記憶している……。いずれにせよ、私の中高時代、多感な時期に影響を与えて、その後今に至るまで大切にしている作家は、同氏と村山由佳で、どちらも馬に乗る方である。
さて、そんな氏が幼少期を、私の故郷の近所ですごされたことは、著作から当然存じていて、それを知った当時はそのことを驚いたはずだが、よく覚えていない。いずれにしてもこれまでの氏の著作や講演で、幕張にいらした頃のことを伺っていたが、それらは断片的なものであったり、私小説として脚色されたものであった。そうした55〜65年くらい前、氏が小学生〜高校生くらいをすごした幕張の様子を事実として描いているのが本書『幕張少年マサイ族』である。元は東京新聞千葉版に連載されたものだそうで、挿絵の沢野ひとしも、同じく少年時代を千葉市ですごされた方である。
●幕張を取材したかったなぁ
埋め立てられる前の遠浅の海が美しく描かれているのはもちろん、そこが埋め立てられ、その後の幕張メッセ等の開発が進むまでの間の様子を、幕張海浜草原と表現しているのが、大変興味深かった。埋め立てられた土地にもそうして草が茂るのかと感心したし、そこには沢山の虫や鳥が集っていたそうで、自然が豊かであったらしく、意外であった。そうして埋め立てられ、5〜10キロメートルくらい遠くなった海岸線から海に入ったときの、きれいすぎると、海が死んでいるという、著者の感想。私は埋め立てられ、開発が進んだあとの幕張しか知らない。家族は比較的古くからこの地に住んでいるので、話には聞いているけれど、こうして人気作家が昔の様子を描いてくださるのは、家族とはまた別の視点での地元史であって、大変参考になる。見てみたかった、雑多な生命がひしめき合って、ごちゃごちゃと汚らしかったのであろう、当時の幕張を。それは、残念なことある。
そんなことを、書影とともにInstagramに投稿したのが、2021年8月26日。この本については地元が舞台ということもあり、描かれた土地を訪ねるなどして記事にまとめようと思って温めていた企画が、ついに完成……、しませんでした。
階段に宣伝をしたがる街、千葉市(千葉駅・新検見川駅)
商店の前にお花がいっぱいの街、千葉市(肉のいながわ・三徳)
神社もちらほらある街、千葉市(検見川神社・稲毛浅間神社)
川も海もある街、千葉市(花見川・幕張の海岸(埋立地))
どうも本を見返しつつ、取材先を選定して、訪ね歩くというプロセスを、うーん、ハードルが高く感じ……、つまり早い話が、今はやる気が起きなかった。ひとまず、本書の中で気になった箇所、スポットをピックアップするにとどめ、取材云々の話は未来の私に丸投げするものとする。
さて、本書の中で私が気になった場所の一つが京成幕張駅の近くにある「岡田電気店」である。本書ではp.112に紹介されており、力道山とシャープ兄弟とのプロレスを、外向きに置かれたテレビで放映していて、多くの町人が集まって楽しんだことが描かれている。(当時は入場料10円を取って、テレビでプロレスを見せていた海の家もあったらしい。)こちらは十中八九、京成千葉線の踏切の脇にある現在の「オカダデンキ」なのだと思うのだけれど、どうなのだろうか? なお現在のオカダデンキの前には所謂ビクター犬(絵画「His Master's Voice」(フランシス・バラウド)に登場したニッパー)の置物があって、2021年9月12日放送の「モヤモヤさまぁ~ず2」(テレビ東京)によると、この子は叩くと鳴くように店主によって魔改造が施されているらしい。(地元民として恥ずかしいことに、鳴くことは知らなかった。)
また本書のp.64に写真付で、きもだめしをやった場所の一つとして紹介されている、千葉市花見川区武石町の「三代王神社」。拙宅から20分程の近所であり、至近の千葉西税務署には何度か行ったこともあるし、近くを車や徒歩ででも、何度も通過していながら、この神社そのものには行った記憶がなく、ぜひ訪ねてみたいスポットである。Googleマップの口コミを見る限りだと、祭礼のとき以外は静かな場所だそうで、どんなところなのだろうか?
その他、気になった箇所や訪ねてみたい場所はおよそ以下の通り。
- p.54に写真付で紹介されている「堂の山」の「首塚」及び「馬加(まくわり)城跡」。こうした史跡も、拙宅から徒歩圏内でありながら、実際に訪れた覚えがない。
- p.67には「昆陽神社」(江戸時代に青木昆陽が飢饉対策のための甘藷(サツマイモ)の試作を行った場所)に関連して、サツマイモの壺焼きの話が出てくる。美味しそうである。
- p.106を読むと、元々2~3メートルの川幅と湿地帯で、丘陵を回り込んで流れていた花見川を、小高い山を掘削することで真ん中を通し、10倍程度の川幅としたことが記されている。私は改修後の大きな花見川しか知らない。新鮮である。なお、花見川は著者の住む幕張と対岸の検見川の境界であった。いずれも漁師町で大人たちの漁場の縄張り争いから発展して、子ども同士も仲が悪かったそうである。
- p.203に紹介されている下総三山の「七年祭り」も私は見たこともなかったし、知らなかった。こちらは千葉市・習志野市・船橋市・八千代市の四市にある九つの神社(幕張の子守神社、等)が集まって6年ごとに行う祭り。丑と未の歳に行っているそうで、本来であれば今年2021年が開催年のはずなのだけれど……。
- p.232には袖ヶ浦(習志野市)の変化を描きつつ、友人たちと都内の下町で共同生活(『哀愁の街に霧が降るのだ』(新潮社)に描かれるものだろう)を始めた後も、洗濯をしてもらいに週に一度のペースで幕張に帰ってきていた旨が記されている。幕張新都心・幕張メッセがまだ計画の中にしかなかった時代である。すでにそれらが存在している時代に育った私とは、感じ方がまるで違うだろうな、と思う。
以上のように、地元の話なのに何も知らなかった、地元の話だからこそもっと掘り下げたい話がたくさんあった。p.72には「大晦日の晩に早く寝るやつ馬鹿だあ」と歌い歩いた話を披露していて、大人になってからこの話を友人にしたら怪訝な顔をされたというエピソードを添えているが、こちらは『発作的座談会』(角川書店)の収録時のものだろう。
そういうわけで、地元にまつわるあんなこんなを知れた、もっと知りたいと思わせてくれる内容で、千葉市花見川区民としては大満足の内容であったが、土地勘のない方にとってはいかがだろう……。とはいえ、戦後の昭和の時代を生きた人なら、似たようなエピソードを持っていて楽しめるのでは、と思うし、若い世代にとっても昔の日本の子どもたちの様子を知ることができる、名作である。是非、おすすめいたします。