哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

神経言語プログラミングのこと

 

NLPのこと

 

問:以下の文章の①~⑤には、それぞれ同じアルファベットが入ります。考えながら読んでみてくださいね。

 

NLPについての本(『マンガでやさしくわかるNLP』(山崎啓支))を一冊、読了した。ちなみにLとは、アメリカ合衆国およびカナダに所在の野球チーム30球団からなる、プロ野球リーグで、アメリカンリーグナショナルリーグからなり、メジャーリーグベースボールの略であるが、NLPも同様に略語であり、神経言語プログラミングの略である。

ざっくりというと、自分の不利益となっている習慣や価値観、プログラミングに気付き、それを書き換えることで、自己実現を図っていこう、という心理学である。NPが、携帯電話会社を変更しても、電話番号をそのまま引きつげるサービスであるように、この番号はこの携帯電話会社である、という思い込みを捨て去ることで、より人は自由になることができるのである。

例えば、子供のころ、犬に手を噛まれた人が、その犬だけでなく犬全般に対して、恐怖を抱くというのはありうる話であるが、何もすべての犬がその人に襲い掛かってくるわけではないので、こういった価値観を和らげることができれば、この人はきっとより楽に生きることができるはずである。

 あなたがもし、NLNジャイアンツの監督になったとしよう。あなたが時間厳守の価値観を持っていたとしたら、練習に遅刻してきた選手の評価を下げるだろうし、一方で、時間を守って、早めに練習を始めている選手の評価を上げ、そういった選手を承認するだろう。またそういった価値観を持っているあなたは、自分自身が遅刻した時なども、必要以上に自分を責めてしまうだろう。しかし、こういった価値観は絶対ではない。子供のころからの習慣、教育で作られた、あなた個人の価値観であり、それを守らない人がいてもよいし、あなた自身もそれに縛られる必要はないのだ。

 そうして価値観に気づき、なくしていくことで、あなたはそういった価値観をクリアしているから承認されるのではなく、存在そのものを自己承認することができるようになり、また他人のことも同様に、存在そのものを承認できるようになる。そういえば、アドラー心理学の『嫌われる勇気』(古賀史健、岸見一郎)は、承認欲求に踊らされることなく、嫌われる勇気を持て(そして、他者貢献をし共同体感覚を持て)、というような話だった。この承認欲求を持つなというのは、同様に、こういった何らかの価値観(コンビニなら、ポプラよりPのほうに行くべきだ、とか)に縛られることなく、存在そのものを承認しなさい、に近いアイデアの様な気がする。

 そんなことを考えながら、今日は床屋で髪を切られながら、を聞いていたのである。

 

回答:①M②B③F④Y⑤A

 

■横文字が多いこと

 

 NLPの考え方自体は素晴らしいと思ったし、面白く拝読した。ふんふんと思いながら一読して、見直したときに愕然としたのが、異常なまでの横文字、専門用語の多さである。プログラム、リフレーム、アソシエイト、ディソシエイト、サブモダリティーチェンジ、ラポールキャリブレーション、リーディング、モデリング、ニュービヘイビアジェネレーター、アンカリング……、目次に載っている主だった用語でこれだけある。なんとなく、子供のころ読んでいた少年漫画を思い出す。敵のモンスターの名前や、必殺技の名前など、やたら長たらしい、英語やら、ドイツ語、フランス語、中国語と思しきものが多かった気がする。

 横文字に限らない、漢字であっても、その正しい意味を正しく定義せずに使っていることが多い。それはここでの私の文章にも言える。『情報生産者になる』(上野千鶴子)にも書かれていたことだが、言葉の定義を曖昧にせず、また一つの言葉に決めたら、退屈でもその単語を使いつづけることが、アカデミックの場では必要なのだという。その点、日本語、漢字は弱いかもしれない。普段使われている意味はある程度幅があるため、それをこの意味と定義しなおして、その一の漢字、単語を使い続けるというのは難しいのかもしれない。

 だから、こういった海外から導入された学問やアイデアは、やたら横文字が多いのだろうか。なんとなく格好いいから使っているわけでも、著者にそれをかみ砕いて日本語にする力がないわけでもなく、その言葉の意味をキチンと定義づけして、読者にアイデアを正しく伝えるためにそうしているのか。そうなのか。少し、納得。

 ところで価値観と理想や目標って違うのだろうか。この本の中で、優れたリーダーは組織の目標達成のために、部下のやる気を引き出してくれる、物事の意味づけを変える(例えば単純な雑用でも、部下の成長につながるように見せたりして、やる気を引き出す)と書かれていて、そういえば私の今の上司は、折に触れてこの仕事はこういう風に考えると楽しくなるみたいに教えてくれて、とても仕事がやりやすいので、それは確かに良いリーダーの資質だなと感じる。また本の中で、自分の意見が言えない主人公が、意見を言うことのできる部下を観察して、そのまねをすることで、上司に意見を言うことができる、というシーンがあるが、ここでは意見を言うことができる自分が、理想となる。というわけなのだが、こういった目標、理想を持つことは、それは価値観ではないのだろうか。組織としての目標=価値観がありながら、そこから乖離した部下の存在をも承認する、自分自身の理想=価値観があり、それに対して努力しながら、しかし、その理想に到達できていなくとも、自分の存在そのものを自己承認する。なんとなくこのあたりが腹落ちしない。ケースバイケースなんだろうな、きっと。

 

 

マンガでやさしくわかるNLP

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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情報生産者になる (ちくま新書)

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