■最先端数理経済学から見た愛のこと
お馴染みのカフェ・ド・クリエの御手洗の石鹸が、何やら真っ青な液体になっていた。前はもっと普通な色の石鹸だった気がするのだけれど、覚えていない。それどころか、普通な色の石鹸てどんな色だ? そして、その真っ青な液体の入った容器(王将で辣油が入っているあれだ)の頭を押すと、ぴゅっと青色の液体が私の掌に飛び散るのだが、それがなんとも西瓜の臭いがするのだ。西瓜の果肉の臭い、西瓜臭。JR東日本の駅中だからSuica臭だろうか。
ともかく、そのような日々を過ごしている。昔から他人の愛情を受け取ることが苦手だ。いや、友情だろうと、劣情だろうと、同情だろうと、人から何かしてもらうことが苦手な気がする。素直に喜べないような。
愛に限らず、もらえるものはもらっておけばよい。そう思う人もおろう。それはごもっともである。しかしこの世に無償の愛は、そうは存在しない。その差し出された愛情が、何らかの見返りを求めるものである可能性は、常に否定できないのである。
これにつき、あのビートルズが”The End”という曲の中で、「And in the end / The love you take / Is equal to the love you make」(結局のところ、あなたは与えただけの愛を得るのだ)と歌っている。ビートルズの発言は正しいので、故に、
T=M
(ただしTをあなたが得る愛、Mをあなたが与えた愛とする)
ただし、私はこの公式に、異を唱えたいと思う。やり取りするものを愛ではなく金とする。あなたのところにジョンがお金を貸してくださいと頼みに来たとしよう。あなたは、ジョンに言われた通り、100円を貸してあげた。するとジョンはこう言う、ありがとう、日割りで年利10%をつけて返すよ、と。73日後にジョンはあなたに、利子を含めた総額を返しに来た。この金額を求める式は、以下の通りだ。
100×(1+0.1×73/365)=102円
これを文字を使って一般化すると、
Tm=Mm×(1+r×d/365)
(ただしTmをあなたが得る金、Mmをあなたが与えた金、
rを利子率、dを経過した日数とする)
このように、金銭のやり取りであればつきものの利子の存在を、ビートルズは忘れていたのであろう。うっかりさんだなあ。この式を元に、わたしが不用意にあなたの愛を受け取った際に支払わなければならない、愛の対価を算出しよう。
T=M(1+r×d/365)
(ただしTをあなたが得る愛、Mをあなたが与えた愛、
rを利子率、dを経過した日数とする)
あなたが得る愛Tはすなわち私が支払わなければならない愛の対価である。そうなのである、私はあなたから愛を受け取ると、それ以上の愛を返さなければならない、長い目で見ると、損をするのである。例えば、若者がちやほやされて異性からの愛を受け取ってばかりいると、年を取って手痛いしっぺ返しを食らうようなものである。返す当てのない愛なら受け取らないほうが良い、それでも受け取ってしまったなら、その愛を元手に、より高利で別の人に愛を与えておくと、貸し手から急に返済を求められても、自分の債権をその人に譲渡すれば事足りるかもしれない。
とはいえ、そうそう愛の自己破産は起こりえない。なぜなら、愛の利子率は往々にしてマイナス金利であるからだ。愛の貸与は諾成契約であるから、契約書は発生せず、多くの人は愛の貸与の事実を忘れる。故に相応の日数が経過した時、愛の負債は消滅するのだ。大体、年利-2000%くらいではないだろうか。上の式にr=-2000%を代入し、T=0のときのdの値を求めてみよう。
0=M(1+(-20)×d/365)
M>0なので両辺をMで割り、両辺を入れ替える。
1-4/73d=0
d=73/4=18あまり1
このように並大抵の愛の借入金は19日もすれば消滅するのである。なお原則としてT≧0であるため、愛のマイナス金利の借入を放置したところで、貸付に転じることはない。
ところで上に並大抵の愛と書いたが、これはあなたから私が受け取った愛の量、Mのことを言っているのではない。愛の負債の消滅に密接にかかわっているのは、愛の利子率rの方なのである。rの値が十分に小さい(マイナス値である)ことにより、愛の負債が速やかに消失するのである。とはいえ学会では、愛の利子率rの大きさはMに比例することが定説である。あなたが私にあまりに大きな愛を与えたとき、その愛の利子率はプラスの金利であり、おいおいものすごい負債に膨れ上がる恐れがある。そして利子率はまた、目に見えないことが多い。ふとした拍子に、貸し手が思い出すこともあるのだから。愛を与えられた場合は速やかに、与えられたのと同等の愛を返しておくことが賢明である。
ただしである、往々にして愛を与えるものは、愛を与えるというその行為によって、受け手から愛を得ていることが多いのもまた、事実である。
「And in the end / The love you take / Is equal to the love you make」
(結局のところあなたは愛を与えたその瞬間に、相手による愛の返済を待たずして、きっとなんらかの愛を得ているのである。)