■レバノンから来た能楽師の妻(梅若マドレーヌ/岩波書店)のこと
まず、レバノンとはどこですか、という話であるが、下の通りである。
中東である。本書でも簡単に経緯が解説されているが、レバノンは政情不安定な国であるそうだ。フランス委任統治下にあったこともあり、首都ベイルートは東洋のパリとも呼ばれていたそうであるが、 同時に人種のるつぼとして様々な人種、宗教の人々が入り混じって暮らしていたそうである。そのような状況の中で、1975年~1990年のレバノン内戦を逃れるため、筆者は日本人と結婚した姉が日本にいたこともあり、キプロス経由で日本に移住することになる。この内戦は大雑把に言えば、キリスト教とイスラム教の勢力の激突に他の勢力や他国が絡んだものであるようだ。
ともあれ、こうして日本に移った筆者は、インターナショナルスクールで能楽師の家系に生まれた梅若猶彦と出会う。筆者はロンドンの大学に進学し、レバノンで一度は就職するが、またすぐに新たな戦闘の影響で日本に戻り、後に猶彦と結婚する。
上の系図は私が整理のために本書と、ネットの情報を元に書いたので、漏れが多いと思うが、左上の猶彦の曽祖父、初世梅若実は明治の三名人の一人と言われ、明治維新後の衰退する能楽界を支えた人物であり、猶彦が能楽の伝統を受け継ぐ家庭に生まれていることがわかる。
そんな家に嫁いだ筆者に対して、猶彦は手紙で「能の世界のことはそんなに心配しなくていい。そんな世界は実在せず、それ自体に何の意味もないのだから。たとえあったとしても、実際に何か力があるわけではない。ぼくたちのつくる世界(きみとぼくの世界だ)がすべての中心になるだろう」という言葉を送ったそうである。とはいえ、結婚後に能楽界でのしきたりについて筆者が納得できなかった時、猶彦に口答えするなと言われたというエピソードを紹介していたり、公演前等には非常に気難しい一面があるそうなので、必ずしもこの手紙の文面通りではなかったのかもしれないが。
猶彦の父である猶義は、猶彦が15歳の時に亡くなったそうで、後ろ盾が少なかったこともあり、夫妻は外国人向けの能楽の普及、レクチャーや英語の解説の配布等の先進的な取り組みに注力したようである。また、失敗の許されない能楽の舞台に挑む猶彦の日々についても触れられており、中でも一日2時間以上、立ったままの瞑想をするというのは驚いた。本書でも能の世界では瞑想を特に重要視するのは一般的ではないと書かれていたが、伝統を受け継ぐことプラスこうした自身の工夫も必要なのだと思う。
本書ではロンドン大学での能のワークショップが認められて、猶彦が教員として博士課程で研究を行ったこと、それに合わせて一家がロンドンへ移住していた頃のことから、娘ソラヤ、息子猶巴の子育て、そして最終章ではレバノンで一人暮らしをしていた母ジャネットを日本に連れてきて看取った、家族の話が丁寧に描かれている。私は能の話よりも、むしろこうした家族の話に心を動かされた。
二人の子どもは、日本とレバノンのハーフである上、幼少期をロンドンですごした。だから、日本に戻ってきて外国人扱いをされたり、日本の文化に馴染むのに困難を覚えたりしたようである。しかし、そうしたことを家族で乗り越えていくストーリーがとても良いな、と思った。二人の子どもは結果として能楽師にはならなかったようだが、幼少期から能の修行をしており、猶彦作の舞台『King Lear and the Death of a Panist』のレバノンでの公演で父・娘・息子での共演をする等、活躍しているようである。
そして筆者の母ジャネットは、認知症を患い、レバノンでの一人暮らしが困難になっていく。家族たちからはテータ(アラビア語でおばあちゃん)と呼ばれていたそうだ。この間に筆者自身も頻繁にレバノンに滞在し、また娘のソラヤも1年以上テータの家に滞在して、レバノンのアーティストを題材にしたドキュメンタリー映像の制作に取り組んでいたそうであるが、最終的にジャネットを日本に引き取ることになる。やはり綺麗な物語だと思った。
私は本書を能楽の本として手に取ったが、能楽に興味のない人が読んでも面白い、本書は国際結婚をして暖かい関係を築いている、家族の歴史である。人間関係の中で、異文化と接する中で、勉強になることもたくさんあったし、世界を舞台に活躍する一家を見て、自分の仕事や人生がこうであると想定されるものよりもずっと広い視界で開けているのではないか、という示唆をもらうことができた。
■ちょっと関連