哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年3月の徒然なること

■2021年3月の徒然なること

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キッチンポテト(千葉県千葉市

 今月は多忙につき、ササッと徒然いたします。

●映画等のこと2.01「六畳間のピアノマン

 「六畳間のピアノマン」(NHK総合)は、『逃げ出せなかった君へ』(安藤祐介/角川書店/文庫化に際して『六畳間のピアノマン』に改題)を原作としたテレビドラマ(全4話)である。物語は「六畳間のピアノマン」を名乗り、自身がアレンジを加えたピアノ演奏を動画投稿する青年夏野を中心に展開する。彼は勤め先のブラック企業での過重労働がたたって事故死してしまっているのだが、作品では職場の同期、遺された父親、彼に対してパワハラをしていた上司、彼の動画を見て勇気をもらっているシンガーソングライターを目指す女子高生らが、明るく希望をもって今日を生きていく様が描かれる。

 全体を通して、視聴者である私も希望をもらえる、良い内容であったのだが、一点だけ気にかかる点があった。第3話では夏野をパワハラで追い詰めた上司の上河内が登場するのだが、工事現場の作業員をしていて、夏野の父親に詰め寄られても、相手が何者か全く想像がつかない。なぜなら上河内はすっかり記憶をなくしているのである。しかし、そうして夏野の父親に問い詰められたことをきっかけに自身の過去を、探偵に依頼して調べたところ、自分のパワハラで部下を死に至らしめたことや、世間からバッシングを受けたこと等を知り、また同時にその時点で記憶を喪失した自分を探している家族はいない、ということを知る。それでも良い人々に囲まれながら、良い人になりたいと前向きに生きていく、という話である。

 記憶喪失、くらいしないと人は変われないのだろうか。確かに記憶を失った上河内は、働いている工事現場の前を通過する夏野の父親に深々と頭を下げて、心よりの謝罪をして、新たに良い人として生きていくのだろう。しかし、私が知りたかったのは、過去の自分の過ちを忘却して良い人になることではなく、いかに自分の罪に(記憶を保った状態で)向き合い、償った上で、良い人になるか、である。 その点だけ、これでいいのかなあ、という疑問が残る作品ではあった。

六畳間のピアノマン (角川文庫)

六畳間のピアノマン (角川文庫)

 
●うんこのこと

 ある朝、外出するので母と家を出た際、我が家は集合住宅なのだけど、その入口前の公道で、トイプードルが大便を排泄していた。トイプードルの連れの女性が、ゴミ袋を持ってその大便を回収していて、私と母はそこに出くわして、誰も何も言わずにすれ違ったのだ。それについて母曰く、例え掃除するとはいえ家のものが出てきたら一言あってしかるべきだ、そうである。

 母の意見はわからなくはない。しかし、それはあくまでマナーとか礼儀の話であって、礼儀は他人に求めるのではなく、自分がやればいい話だとも思う。相手ができていない、いや、そもそもそれをやるべきかどうかすら確かなことは言えない、そんなことで自分の理想と相手の行動が違ったとプリプリ怒ったって、ストレスが溜まる一方である。詮無いだろうに。

 ところでここで、お連れのトイプードルが脱糞している女性は、何と声を発するべきなのだろうか。「うんこをしてごめんなさい」だろうか? そうして我々は、「気にせず大いにうんこしてください」と言うのか? 多分違う。「あぁ、どうも、すいません(、私の可愛い愛犬がうんこして……)」「いえいえ(、好きなだけうんこしてください)」という行間を読む会話をするわけである。あるいは朝なのだから「おはようございます!(今日もうちのチョコちゃんは快便です!)」「おはようございます!(いやぁ、羨ましいなぁ)」であろうか。もしかすると言葉を発さずに会釈だけが正解なのかもしれない。“ぺこっ(えへっ、うんこしちゃった)”“ぺこっ(うんこだうんこだ)”……。わからん……。

 もういっそこんな行間を読み合う会話より、やはりストレートに「うんこをしてごめんなさい、許してください」と言うのが正解な気がする。しかし、初対面の相手に「うんこ」という単語を発するのには、確かに恥じらいがある。そうすると黙してすれ違うのが吉である。そうか、先日の朝の女性はそこまで考えて……、深いなぁ。

●異動のこと

 年度末は異動で勤め先が慌ただしくなる季節である。今のところ私自身に異動の話は、まだ全くわからない。ジョブローテーションで機械的に動かされる勤め先なので、そろそろとは思っている。ともあれ、同じ場所で働く人の顔ぶれは、自分が動こうが動くまいが、変わることになるだろう。そうして新しい人間関係を作っていくのは、楽しみである反面、不安でもあるのである。

 以前にも書いたが、私は精神病で仕事を休職して、今いる部署が復帰一部署目である。今はお陰様で元気に、楽しく働くことができているが、それが私自身が回復したからなのか、たまたま今の部署の人間関係や環境がいいだけなのか、それはわからない。だからこそ、異動して新しい環境でも大丈夫なことを確認したい反面、環境を変えたことでまた調子を崩すのではないか、という不安もあるのである。

 まあ、悩んでも動かすか否かは会社が決めることなので、私には関係ないことなのだが……。

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