哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

映画等のこと⑩「平家物語」

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■アニメ「平家物語」のこと

 アニメ「平家物語」(フジテレビ)全11話を拝見した。新年早々、本作と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK)と鎌倉時代を描く作品が併走したわけだけれど、こういうの狙って大河に合わせたのだろうか……。

 本作は平家の栄華と没落を描いた、鎌倉時代の軍記物である『平家物語』の、古川日出男による現代語訳を底本としている。同現代語訳版には作中に、琵琶法師による琵琶の擬音が挿入されているそう(未読)。作品の舞台でもある平安時代には、盲目の琵琶法師が貴族の屋敷に出入りして演奏をしていたそうで、また更に時代が下ると『平家物語』は、琵琶法師による弾き語りによって広まっていく。古川も琵琶法師の弾き語りをイメージして、さも目の前で物語が弾き語られている、かのような演出を施したのであろうか。

 本アニメは監督を「けいおん!」等の山田尚子、脚本を「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の吉田玲子、制作をアニメーション監督の湯浅政明らが創業したサイエンスSARUが務めた。恐らく原書・古川訳からアニメ化への最大の発明は、主人公としてびわという少女を採用したことだと思う。アニメ冒頭びわは、盲目の琵琶法師である父に連れられて旅をしているのだけれど、ある出来事から平家の武士に父を殺されてしまう。びわは未来を見通す目を持っていて、平清盛の長男である重盛の館にやって来て、平家の滅びゆく未来を予言する。一方の重盛も、亡くなった人の亡霊を見ることのできる目を持っていて、びわに共鳴し彼女を自身の館に留め置くことにする。

 本作でびわは、父から受け継いだ琵琶をかき鳴らし、平家の行く末を見守り、語り継ぐ存在である。平家滅亡後、鎌倉や室町の時代の人々が、結末を知りながら平家琵琶の音に耳を傾けて『平家物語』を受容した様を、我々はびわの未来を見る瞳と琵琶の音によって、追体験する。

 本作のオープニング主題歌は、スリーピースバンドの羊文学による「光るとき」。サビの歌詞に、"何回だって言うよ、世界は美しいよ 君がそれを諦めないからだよ 最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても 今だけはここにあるよ 君のまま光ってゆけよ"という箇所がある。本曲は本作のために書き下ろされたものだそうなので、まさに本作や原書等、壇ノ浦の戦いでの敗戦が決まってしまっている平家を念頭に紡がれたもの、滅びゆく平家の"今・ここ"に目を向けさせ、楽しませてくれる素敵な曲に仕上がっている。

 私は平家の、特に重盛の息子たちである維盛、資盛、清経らとびわの掛け合い、平穏な日常を大いに楽しんだし、また政治の駒として高倉天皇に嫁ぎ、安徳天皇を生んだ徳子のしなやかな美しさに心惹かれた。この世界がずっと続いてほしいと思いつつ、いずれ訪れる終末を思いながら、それでも日々を楽しむのである。

【参考:平家の人々】
忠盛
・清盛
・・重盛
・・・維盛(富士川の戦い、新作狂言「維盛」)
・・・資盛(殿下乗合事件、建礼門院右京大夫との恋)
・・・清経(横笛の名手、能「清経」)
・・宗盛(能「熊野」)
・・知盛(碇知盛、能「船弁慶」「碇潜」)
・・・知章(能「知章」)
・・重衡(南都焼討ち、能「千手」)
・・徳子(高倉天皇中宮建礼門院
・・・安徳天皇
・経盛
・・敦盛(無冠大夫、文楽・歌舞伎「一谷嫩軍記」等)
・忠度(能「忠度」「俊成忠度」)

 上を見ていただくと分かる通り、平家の人々は非常にバラエティ豊か、それぞれが『平家物語』等を典拠にした能の曲に登場している。今、Wikipediaでだけれど色々と調べていて、能「熊野」の主人公(シテ)の熊野は、誰の愛妾だっけと確認したら宗盛。遊女熊野が母の見舞いを理由に暇を申し出るのだけれど、宗盛は認めず花見に連れていく、という曲(デートDVである)。悪党とされることの多い宗盛だけれど、アニメでは悪党と言うより小心者と言う風情が強く、どこか憎めないキャラクターに。

 各自、史実のエピソードを元に、本作ではデフォルメされて魅力的なキャラクターに描かれている点も、古典が題材でありながら親しみやすい理由の一つ。時代は違えどこんなやついるよね、という感じで眺めることができ、そうした点でも描かれた日常がもっと続けばいいのにな、と思わされる次第である。

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