哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2022年8月の読書のこと「わたしはコンシェルジュ」

■わたしはコンシェルジュ(阿部佳/講談社)のこと


【閉業】蓮池ホテル(長野県下高井郡山ノ内町

 皆さんはホテルコンシェルジュという仕事をご存知だろうか。ホテルにフロントなどの受付とは別個に独自の窓口を有していて、お客様からのあれやこれやのご要望やご質問にお応えする役割のことである。私は本書『わたしはコンシェルジュ』(阿部佳/講談社)を読むまで、ホテルコンシェルジュの仕事が如何なるものなのか、きちんと知らなかった。今回は本書を通して、その仕事内容や活躍ぶりの一端を紹介したい。

●読んだこと

 本書はホテルコンシェルジュの草分け的存在である、執筆当時ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルにておつとめであった阿部佳による著作である。著者はその後、グランドハイアット 東京に勤務、現在は明海大学 ホスピタリティ・ツーリズム学部 教授をつとめられているようである。

 私はこれまでホテルコンシェルジュというものを利用したことがない。そもそも、これまで旅行等で宿泊したホテルに、コンシェルジュという役職の方がいらしたかどうかも定かではない。それでもなんとなく、宿泊客の要望に応える役割なのだろう、という推察はできる。できるが、本書を読むとその要望の幅・深さともに、私の想像をはるかに凌駕するものであることがわかる。

 娘の喜ぶプレゼントを買いたい、今の自分の気持ちに合うレストランを紹介してほしい、三日間の旅行プランを考えてほしい、等はなんとなく想像できるが、驚いたのは、手書きの書類を翻訳して清書してほしい、というもの。そうした事務処理? までしているとは思い至らなかったので、びっくりである。また筆者にとって印象的な事例として挙げられているものの一部を紹介すると、一つは、アメリカでドアの輸出をしている方が来日して、どこに商談に行けばいいか教えてほしい、というもの。またあるいは、二十年前にアメリカに住んでいてとても親切にしてくれた「鈴木さん」という日本人を探してほしい、というもの。どちらも途方に暮れてしまうような話であるが、筆者がどのようにこの難問に対応したのか、紹介がされている。

 筆者自身は家族に連れられてヨーロッパを旅した時に、現地のホテルコンシェルジュ文化に触れたことが、この仕事に興味を抱くきっかけとなったそうである。ただし筆者が就職活動をしていた1982年当時は、日本にホテルコンシェルジュというポジションはなく、四年制大学卒業の女性である筆者がホテルで任せてもらえそうな仕事は会計係しかなかった、とのこと。採用時に出会ったあるホテルマンから、十年間別の場所で経験を積んでホテルに戻っておいでと言われて、結果その通りになったそうで、そうした夢の職業に就くまでの紆余曲折も大変に面白く、私は筆者により関心を抱いた。

 また本書ではホテルコンシェルジュの仕事の仕方についても触れている。例えばお客様の前で出来合いのイエローページのような情報に頼らない(他のホテルコンシェルジュや業者に問い合わせるのはOKだそう)、二回までの質問でお客様が望んでいるもののイメージをつかむ、お客様にお伝えする情報は必ず裏どりをする(今日お店が営業しているか、レストランにご希望の食材が入荷しているか)、”あとで”等の曖昧な表現ではなく○分後といった具体的な表現で確実に仕上がる時間をお伝えする、等々。

 こうしたホテルコンシェルジュには横のつながりがあって「レ・クレドール」というネットワーク組織があるそうだ。本書ではヨーロッパのホテルコンシェルジュはほぼ男性だが、アメリカ・日本では女性が多い(むしろ日本ではホテルコンシェルジュなんて女性にやらせておけばいいという認識である)と説明される。最新の情報を知りたく、レ・クレドール・ジャパンのWEBページを拝見すると以下のような説明があった。メンバーの顔触れを見ると、なるほどレ・クレドール・ジャパンはそのほとんどが女性である。(筆者は現在、レ・クレドール・ジャパンの名誉会員である。)

日本におけるレ・クレドールは、コンシェルジュの勉強会として 1990年にスタートしました。 コンシェルジュという職業の認識度、知名度の低さ、個人に与えられる資格に対する企業の戸惑いなど、さまざまな局面をめぐって紆余曲折がありましたが、アジアの統括国であるシンガポールのもと、レ・クレドールシンガポール日本支部として活動を続けてきました。1997年11月、その実績が認められ、パリの本部及び世界の先輩国から承認を受け、一つの独立国=チャプターとして承認されました。
現在、レ・クレドール ジャパンは、2021年4月現在2名の名誉メンバー、28名のメンバー、18社1校のアフィリエイトからなる組織となりました。毎月開催の定例会を中心に、一致団結して、ホテルコンシェルジュ全体のサービスの質を高めるべく努力を重ね、今後も世界中の多くのメンバーと力を合わせ、観光業界発展の一役を担う会として、成長していきたいと考えています。また、レ・クレドールジャパンの会員は 日本コンシェルジュ協会※ に属し、ホテルコンシェルジュや関連企業の会員とともに月一度の定例会を通じて活動、交流し幅広いネットワークを構築しています。
ABOUT | レ・クレドールジャパン – Les Clefs d’Or Japan より)

 ホテルコンシェルジュになりたい人に向けて筆者は、広く浅く色々なことに興味を持って知っていると良い、と言う。また、ホテルコンシェルジュの仕事について「NOと言えない職業」というより、性格的にお客様に興味を持って、何でも知りたい、何でも楽しみたいため、NOと言えないのだ、とも。

●考えたこと

 本書でもホテルコンシェルジュの接客術が他の職業でも生かせるのでは、職場のコンシェルジュになれるのでは、ということが述べられている。それは事実だ。筆者や他のホテルコンシェルジュのような、高い意識を持つのはなかなかに大変なことだと思うが、それでもそれができるのならば、その一部だけでも参考にしていければ、私自身の仕事にも生きるだろうな、とは思う。

 頼れば何とかしてくれる人や組織をどれだけ知っているかで(調べれば三十分かかることでも、聞けば三分で済むかもしれない)、ホテルコンシェルジュとしてどれだけ頼りになるか、どれだけの要望をかなえられるかも変わるそうだ。人脈は財産だと。またホテルコンシェルジュは自分で見たものしかおすすめできないため、流行や新しいレストラン、劇場に足繁く通うのだという。休みの日であっても、お世話になっている人のところに顔を出して挨拶したり。

 本書は働く上での多くの刺激に満ちているけれど、このことはもっとも私が参考にしたい部分だ。人脈は財産、仕事の上・仕事の時間に限らず、きちんと色々なところに出向いて、人との縁を大切にする。これだけ聞くとワーカホリックなのでは、という気もするが、人脈や知識は勤務先だけのものにはならない、属人的なものであると思う。それらを得て維持するために休日をも使う、というより、良い人脈であったり面白い知識を得られるのであれば、休みの時間を使ってでも楽しく出かけていくことができると思う。この点は仕事に生かすというよりは、私の人生に生かしていきたい内容であった。

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