哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

映画等のこと⑯「千鹿頭 CHIKATO」

■ 千鹿頭 CHIKATO のこと

 美術家の大小島真木と文筆家・編集者の辻陽介が、長野県諏訪地方に滞在して制作した映像作品「千鹿頭 CHIKATO」のお披露目上映会が2023年5月13日、対話と創造の森 神田サテライトにて開催されたため、お伺いしてきた。

2022年度滞在制作による新作映像作品 大小島真木+辻陽介『千鹿頭 CHIKATO』(2023) アーティスト立ち会いによるお披露目上映会のお知らせ

 2022年4月に諏訪に設立されたアート「対話と創造の森」(長野県茅野市)では、年に1組アーティストの現地滞在による制作を支援しています。
 昨年は、初の滞在アーティストとして大小島真木と辻陽介を招聘しました。二人は昨年4月からリサーチを開始、大小島初の映像作品を辻との初コラボレーションにより制作することを決意、5-6月の滞在ののち、9-10月に撮影、約半年の編集期間を経て、ついに新作映像作品『千鹿頭 CHIKATO』が完成いたしました。
 今回は、その初のお披露目として、2023年5月13日の15時から22時まで、アーティストの立ち会いのもと、ループ上映を行います。キュレーションを担当した四方幸子、「対話と創造の森」設立理事の新野圭二郎ともども、皆さまのお越しをお待ちしています。

日時:2023年5月13日(土)15-22時
会場:対話と創造の森 神田サテライト 3F(東京都千代田区神田西福田町4-5)

■ 観たこと

 以下に「千鹿頭 CHIKATO」(監督:大小島真木、辻陽介)を拝見して感じたこと等を記す。

● コトバ

 冒頭に詩? が引かれる以外は、作品の中に言語は登場しない。ただし物語がないわけではなく、観者がなんらかの因果を想像できる程度には、情報を与えてくれている。そして言語がなく、物語もはっきりしないのに、ずっと目が離せない、見入ってしまうというのが本作の素晴らしさである。心地よさとハッと驚かされる感じ、おどろおどろしさ、不思議や疑問、神聖さ、それらのどれかに偏っていない。映像も音楽もそうだ。ああ美しいなという映像と、不安を掻き立てる音楽が同居していたりする。そのどちらに偏っていても嫌になる、本作にはそのあらゆる瞬間に、あらゆる感情が詰まっている。

● モノガタリ

 一方で想像を困難にするのが、本作が複数の場面ないし次元の時間の経過を、細切れに少しずつ表現している点である。野蛮人のような男と天女のような白塗り女性の出会いと生殖を描く映像(人間界?)、仙人のような赤塗りの男性と精霊のような緑塗りの女性との世代交代を思わせる映像(神霊界?)、全身入墨の民族数名と女神を思わせる女性が様々なポーズ(ケンタウロスのような形に結合したりする)を見せる映像(自然界?)、モノクロ映像で狼の罠に絡め取られ、解体され、食べられていく鹿を見せるインサート映像(現実界?)。これらは一つの森の中で別個に進行していく様々な物語である。そして別個でありながら、一つの森の中で、皮一枚隔てた先にこんなにも違う世界が展開されている、ということを感じることができる。

● セイとシ

 インサートの鹿の解体は顕著に生命の死を描き、エンディング映像で関係者が鍋を頬張る様は、鹿の死が人間たちの生に繋がっていく様を見せてくれる。野蛮人は天女とのまぐわいの後、赤い布をかけられ弔われる。赤塗りの神も横たわり、そして消えてしまう。冒頭の詩が示す通り、赤は森の中で目立つ色、赤いものは他の生物に捕食されたがっている。

● オトコとオンナ

 本作で死して消えゆく野蛮人、赤塗りの神ともに男性であり、また入墨の民族も全員男性で、女性の神に群がっているように見える。神道において最高神が女性神であるアマテラスであること、太古卑弥呼のような女性指導者がいたこと、あるいは女性が権利を取り戻していく近現代の歴史をも思わせる。

● ウチとソト

 鹿の解体はモノクロではあるが、衝撃的である。ナイフで毛皮を剥がれていき、中には当たり前だけれど鹿肉が入っている。鹿の内にあった肉が外に露出され、人間たちの内に入っていく。あるいは野蛮人と天女とのまぐわいは、薄い布の内で二人が絡み合う様で表現される。暗がりの中、ピンクのネオンが布の内から漏れている。明るくなり顔から全身、透明でぬめりの有りそうな液体にまみれた二人は、下半身だけ布の内に入れて覆われている。

● カワとイワ

 本作の冒頭、野蛮人と天女との邂逅は、森の中の大きな、直径三、四メートル程の、球形の岩の前でなされる。画面が二つに割れ、左側の天女が右側の画面で野蛮人を誘い、野蛮人が左側の画面に入っていく。大きな岩球をバックに。作中何度か、流れる川の映像が差し込まれる。上流から下流へ。冒頭の詩においても、水や岩についての言及がなされていた。作品の最後、誰もいない岩球が映し出される。

■ 考えたこと

 以上が本作を通して私が観て、感じたことなのだけれど、では実際のところ本作は何を表現していて、何を訴えたい作品であったのだろう。

ohkojima.com

 美術家の大小島真木、文筆家の辻陽介が、長野県諏訪地方における数度に渡る滞在リサーチを経て、全編を諏訪一帯で撮影した短編映像作品。
 諏訪地方に伝わる神話、信仰、民俗から得たインスピレーションをもとに、生、死、性、食、殺、葬といった生命の普遍的営為がもつ両義的な性格を、創作神話という形式によって表現している。
 現在制作中-2023年秋に発表予定。

〈 INTRODUCTION 〉

 かつて、八洲を貫く双の亀裂が交わう大土の裂け目に、現世と常世の境界として畏れられた、あやしき森があった。その森には古の神々と、その神々を崇める異風の民が暮らしていた。人々は彼らとその神々を〈千鹿頭〉と呼びならわし、決してその森に近寄ることがなかった。

 ある時、北にある翡翠の国をいでて諸国を放浪していた男が、期せずして〈千鹿頭の森〉に迷い込んでしまった。風の調べと水の香りに誘われるまま、やがて男は〈千鹿頭の森〉の奥深きところへと辿りつく。そこで男が目にしたものは、世にも稀なる巨大なうつぼの玉と、白き妙光をたたえた異形の女だった。

 

出演

川合ロン  
井田亜彩実
田中基  
コムアイ
半々 
縄文族
(亜鶴、小野謙治、カツオ、辻陽介、ヌケメ、MADOKA、宮林リョウタ)

青木和夫 青木匠 石毛健太 大島托 半澤平

音楽

池田健
コムアイ

サウンドエンジニア
小野洋希

オーディオエンジニア
大川数斗:LLLL

撮影

足利森 
矢崎研 

編集

足利森 
大小島真木 
辻陽介 
矢崎研 

撮影場所提供
カナディアンファーム

劇中登場作品
(黄色い球体)

大平和正 「風還元/球体」

制作

アートコモンズ
「対話と創造の森」

監督

大小島真木
辻陽

 上の案内を読むと、諏訪地方の神話等に、大小島・辻が独自の解釈を加え、世界設定をした作品であることがわかる。

 では本来の千鹿頭とは何者なのか、という話であるが千鹿頭神(ちかと(う)のかみ)は、諏訪地方に由来し松本市等の長野県内、山梨、北関東から福島に広まった狩猟の神であるという。
 伝承によって様々であるようだが、昔、中央からやって来た建御名方神(たけみなかたのかみ)=諏訪明神の諏訪入りに抵抗した、諏訪地方土着の漏矢神(もり(れ)やのかみ(しん))がいた。漏矢神の子が守宅神(もりや(た・たく・たか)のかみ)で、その子が千鹿頭神だとか。
 諏訪大社上社の神長官を明治初期まで務めた守矢氏を漏矢神の後裔とする説と、建御名方神の後裔とする説と、また中部地方を中心に関東から近畿に広がり諏訪が震源地とされるミシャグジ信仰に関して、ミシャグジを漏矢神と同一視する説と、諏訪明神と同一視する説とあるそうで、ネットで調べる限りだとよくわからない。千鹿頭神は鹿等の狩猟の神で、妻を娶って諏訪から松本に移ったとも。なおWikipediaの記載を信じるならば「金春禅竹の『明宿集』(1465年頃)は、「宿神(=ミシャグジ)」と「翁」とを同一存在と見なし、翁(宿神)を諏訪明神筑波山の岩石などと同一視している」という点は少し興味深い。

 こうした神代~古代の話は調べていても説がはっきりせず混乱するけれど、神話が史実を表していたりして、面白い。折に触れて、また調べてみたいと思う。ともあれ、今回はお披露目上映であったが、正式版の公開が待ち遠しいところである。たいへん魅力的な作品であるので、公開されたら多くの方に見ていただきたいと思う。

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