哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

絵画等のこと⑱ 千鹿頭 CHIKATO 大小島真木 調布×架ける×アート @調布市文化会館たづくり

 ■絵画等のこと⑱

 

 

 

 

 調布市文化会館たづくり にて開催中の「千鹿頭 CHIKATO 大小島真木 調布×架ける×アート」と関連イベントのクロストーク「風土を喰らう、風土を分解する」を拝見してきたので、感想を記す。

 

展覧会情報

開催日
2023年10月7日(土) 〜 2024年1月14日(日)
※会期中の休館日は以下のとおり 
10月23日(月)24日(火)、11月27日(月)28日(火)、
12月25日(月)26日(火)29日(金)~1月3日(水)

開催時間
10:00~18:00
※本展示では40分程度の映像作品が2点含まれます。入場時間にご注意ください。

会場
調布市文化会館たづくり
展示室(たづくり1階)

料金
無料

●千鹿頭 CHIKATO 大小島真木 調布×架ける×アート @調布市文化会館たづくり

 展示は大小島真木らが長野県の諏訪に滞在、調査した結果を作品として表現したもので、美術作品でもあり、ドキュメンタリーであり、フィールドワークの発表でありという、様々な印象を受ける。メインとなるのは「千鹿頭 2023」という四十分弱の映像作品。今年の5月のお披露目でも拝見したが、改めて良い作品。
 境界の裂け目から向こう側に迷い込んでしまった人が、神や精霊と触れ合うようなイメージ、明確なストーリーは示されておらず、美しい自然と神秘的なイメージをただただ感じることができる。

 展示冒頭には「根源的不能性 - Radical Impotency 2023」という、やはり四十分弱の映像作品があり、こちらは展示全体のコンセプトを紹介するような内容なのだが、訥々とした語りとともに、五種類の入墨や諏訪の森等の映像を見せられ、情報を浴びせられているような感覚を覚える。
 そこで語られることには、諏訪(諏訪湖)は日本列島を東西に走る中央構造線と、南北に走る糸魚川静岡構造線が交わる土地だそうで、日本列島のへそであり、境界の点、だとかなんとか。構造線とは地層や地塊の境界線のことで、糸魚川静岡構造線と、新発田小出構造線および柏崎千葉構造線に囲まれた箇所を、フォッサマグナと呼ぶ。フォッサマグナでは古い時代の岩石(おもに中生代古生代)でできた 、ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代)がつまっている(フォッサマグナとは/糸魚川市)とのこと。こうした構造線に沿って、大きな神社が鎮座していることがあり、これらの構造線=境界線が神の通り道だったのではないかと考えられるのだそう。
 江戸後期の国学者菅江真澄「すわの海」によると、当時は神の依り代であり生贄でもある八歳の童「おこう(御神)」が、鹿肉が大量に串刺しにされた「御贄柱(おにえばしら)」に縛り付けられ、儀礼的に解放されるという不思議な儀式があった(幻想に彩られた元祖諏訪明神「ミシャグチ」。その意外な正体とは?(季節・暮らしの話題 2019年11月13日) - 日本気象協会 tenki.jp)とされるおこう様についても、本映像では言及されており、諏訪明神の依り代(よりしろ-神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ-生き神様)として、諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職【諏訪上社 大祝諏方家住宅】-そこには“諏訪の現人神”がいた- - 諏訪市公式ホームページ)である、大祝に仕える聖童で、一年間の巡行の末一説によると生贄として殺されていたとも。そうした、不思議な信仰があった、あるいは今も御柱祭等の形でその形跡を残しているのが諏訪という土地なのだそう。
 もう一つ、こちらの動画では、人間の頭蓋骨にある大泉門という隙間に着目している。生まれたての赤ちゃんは、頭蓋骨の間に隙間が空いており、出生時に産道を通るため、また脳が成長するためとされているそう。大泉門と呼ばれる前頭部のひし形の大きな隙間は平均2.1cmで、成長とともに小さくなり、一、二歳(平均十八か月)に閉鎖するそう(大泉門について – 小児科オンラインジャーナル)だが、これは人間の頭にある境界点なのかもしれない、と。

 そんな動画を受けて拝見した展示はとても素晴らしかった。


SHUKU 2023

 六本木で一度拝見していた「SHUKU」は、その時は明るい中での鑑賞だったので、暗い中で拝見できてより一層、その良さが伝わって来たし、「御贄ノ王国ニテ鹿ヲ仕留メタルコト」と題したフォトエッセイでは、辻が鹿を仕留めた際の描写が克明になされており、その時の様子が追体験できる。その他、立体・絵画等様々な媒体でテーマが表現されている。

 クロストークではユニット大小島真木のお二人(大小島真木と辻陽介)に、情報学研究者のドミニク・チェンを交えて、展示にまつわるお話から話題が広がっていき、さらに刺激を受けた。
 調査の中で鹿の罠猟をして、辻が実際に鉄棒で鹿の頭をたたき、放血させたそうなのだが、そうして鹿を食べることは、あたりの森の風土を丸ごと身体に取り込むことという考えを持った、とも。人の機嫌のことを腹の虫と言ったりしするが、この虫(あるいは精霊)などと考えられていたものは、腸内細菌が人の感情をかなり左右していることと類似しており(近年の研究ではそうなのだそう)、昔の人はそんな事もわかっていたのでは、みたいな話が出た。
 アニミズムなどの言い伝えがサイエンスで導き出される解と酷似することがある。感覚的に昔の人は分かっていたのかも、と。(どの程度昔かは知らないけれど)昔の人は、血縁より地縁、同じ釜の飯を食べることを重視したそう。これはつまり同じようなもの、同じ風土を身体に取り入れて、同じような腸内細菌を持っていることを(無意識に?)重視したのではないか、と。
 展示でも、クロストークでも、様々な考え方は提示されるが、こうすべきだということは語られない。何が正しいのかは分からないけれど、そうした多種多様な考え方を私の内に取り込めることが大変面白い。"安堵"の"堵"はかきねのことなのだそう。他との境界を作って(排除して)安らげる場所を作る。同様に、"security"はラテン語由来で接頭語の"se(セ):~離れて"と"cura(クーラ):心配"を合わせたもので"心配から離れた"が語源、心配を意味する"cura"は、後に"治療する、癒す"を意味する"cure(キュア)"に変化したそう(ザ 語源 第13回 証券はなぜ英語でセキュリティーなのか? | ゼロから学べるアイザワ投資大学)。
 発酵食品(味噌や醤油)等を作る職人は、決して自分が作った味噌等とは言わないという。染色家の志村ふくみも同様だそう。自然からいただいているだけ。それはヒンズー語であるという与格の考え方に似ているとか。自分で意識してやったのではなく、与えられたような感覚。地震大国として知られる日本の人々は、断層に分割された揺れ動く大地に生きている。災害に対して抗うのではなくてやり過ごす。根源的不能性を踏まえて生きてきた。狩られた鹿は森の中に非常に目立つ、真っ赤な血を吹き出す。死んだ鹿の周りには、すぐさま分解者であるハエたちがたかる。生命は何かにたかりながら生きている。そして鹿は人に食べられ、ハエにたかられ、分解されていく。こうした食べられ分解されていくことを志向したのは、誰なのだろうか? そんなことを問いかけられるクロストークであった。

 また本展示は、調布市グリーンホール、調布市せんがわ劇場にてサテライト展示もある。それはまちなかにアートが飛び出しているように感じる。そうか、つまり調布架けるアートなのかと今更ながら感心する、うまい見せ方だと思う。

※ 文中で引用したリンク先は本展示とは関係ありません。

 

キーワード(順不同)

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