哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2023年5月の徒然なること

■2023年5月の徒然なること

 5月というよりほぼ6月の頭にやらかしたことについて、雄弁に語ります。

●絵画等のこと13.01「エドワード・ゴーリーを巡る旅」@渋谷区立松濤美術館

 エドワード・ゴーリーをご存知だろうか? 1925年に生まれ2000年に没した、アメリカの絵本作家である。彼の出版物の原画等を「子供」「不思議な生き物」「舞台芸術」などのテーマを軸に約250 点の作品で再構成した展示「エドワード・ゴーリーを巡る旅」が、東京都渋谷区の渋谷区立松濤美術館で2023年6月11日(日)まで開催中である。
 私はエドワード・ゴーリーについて、名前やなんとなくの作風は存じていた(というのも、高校の同級生が大ファンであったこともあり、話には聞いていた)のだけれども、きちんと作品を拝見したことはなく、この原画展が初めてきちんとゴーリーに触れる機会となった。
 彼の作品は絵本でありながら、大人向けと言われる。もっともゴーリーとしては必ずしも全てが大人向けではなく、子ども向け、児童書として出版したかった作品もあったそうである。ともあれ、彼のいくつかの作品では不条理な悲劇に見舞われる子どもたちを描き、救いがなく感じられる。どこかで話が展開してハッピーエンドになるのではなく、ただただ理由もなく不幸になり、そのまま終わる。不幸になるのは子どもが多いようだが、大人も不幸になる。そんなストーリーだ。
 そしてストーリーもさることながら、画風そのものがまた、不安にさせる絵である。画面が暗く、人もその他の生き物も不思議なバランスで、異様なまでに緻密に描きこまれている。その緻密さに、私は驚いた。白黒の絵でありながら、並行して書かれた無数の直線の密度等で色味や影を、見事に表現している。人物以上に背景や物をそうした緻密で丁寧な筆致で描き出していて、絵一つ一つに素晴らしい世界が宿っている。私が大好きなトーベ・ヤンソンの絵に似ているかもしれない。
 今回の展示を拝見して、ゴーリーの出版物に触れてみたくなった。会期は残り僅かであるが、おすすめである。
●寄席ばいいのに1.02「第五回文菊千景」@代々木能舞台

 2023年6月3日(土)、お友達が企画運営をする、落語家・古今亭文菊の独演会「文菊千景」にお邪魔してきた。今回で五回目、前回から会場を初台駅からほど近い、代々木能舞台に移しての開催となり、なんとも趣のある日本家屋の中で、少人数で生声の落語を聴くという、大変贅沢な時間となっている。
 前日から日本全国を台風が横切り、各所に被害をもたらしたタイミングでの開催、文菊も前日までは高知で仕事をしていたとのこと、何とか飛行機で帰ってきたそうである。高知市名張市とでの公演の様子、リアルな文菊の様子を伺えたのが嬉しい。生の落語ならではである。
 落語や歌舞伎でのかけ声の物真似等を聞かせて、始まったのは「たがや」。両国の川開き=花火の日、両国橋(九十四間)でのたがや(桶などを直す職人)とお侍のチャンバラが主題。落語では珍しく人が死に血が吹き出る話。二席目のマクラでお話くださったことによると、時代の変化でこうした話もやりにくくなっているのだとか。夏に向かう季節を先取りした、風情のある一席。
 さて二席目は「茶の湯」。蔵前から根岸の里に映ったご隠居と定吉。見様見真似で茶の湯を始め、風流だ風流だと言い合っているけれど、肝心の茶の湯は青黄粉と泡立てるための椋の皮(洗剤)。二人とも腹は下すわ、周囲の人々に迷惑はかけるわ、という噺。ご隠居、定吉、長屋の三人、ご隠居の知人に農家と、様々な人々をリアルに演じ分けるのが流石の文菊。たくさん笑わせてもらった。
●「千駄ヶ谷界隈を散策する」こと

 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館主催による、令和5年度 第1回 歴史・文学めぐり「千駄ヶ谷界隈を散策する」に参加したのは2023年5月25日(木)のことである。午後2時に千駄ケ谷駅を出発し2時間ほど、案内は同館学芸員武蔵野大学客員研究員生駒哲郎である。先生のわかりやすく、そして楽しいトークには非常に恐れ入ったのである。
 さて、どんなところを徘徊もとい散策したのか。例えば千駄ケ谷駅の改札を出た正面右側は一体が徳川邸だったのだけれど、その名残が電信柱の上の方を見ると残っている。なるほど徳川支(線)と書いてあるのである。
 あるいは鳩森八幡神社について、源氏を名乗った徳川家康だが、もとの松平氏三河国加茂郡松平郷に由来する賀茂氏を名乗っており、出世のために藤原氏、後に源氏を買ったため、源氏にゆかりの深い八幡信仰をあまり重視していなかったと。しかしそれ故に、本社について、徳川以前の歴史があることがわかる、といった考察。私は歴史の研究についてこのように推測していくことを知らなかったので、大いに勉強になった。
 写真は聖輪寺の梵鐘の周りを取り囲む新四国八十八ヶ所巡りで、梵鐘の周りをぐるりと一周すると、四国八十八ヶ所を巡ったのと同じご利益があるとか。同寺の庚申塚と、江戸時代に建てられた仏塔も。
 他に拝見したのは、徳川家康側室お万の方を開基とし、墓地の下をトンネルが通っていることでも知られる仙寿院や、鳩森八幡神社別当寺の瑞圓寺、新井白石終焉の地等を拝見。普段見慣れた千駄ヶ谷の新たな姿を知ることができて、大変に有意義な時間であった。
 

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com