哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

絵画等のこと⑭ 私たちは何者? ボーダレス・ドールズ @ 渋谷区立松濤美術館

 ■絵画等のこと⑭

 

 8月27日(日)まで渋谷区立松濤美術館にて開催中の「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」を拝見してきたので、感想を記す。

shoto-museum.jp

私たちは何者? ボーダレス・ドールズ
The Infinite World of Japanese Dolls: From Religious Icons to Works of Art
2023年7月1日(土)~ 2023年8月27日(日)

●「私たちは何者? ボーダレス・ドールズ」@ 渋谷区立松濤美術館 のこと

 日本の様々な人形が集まっており、見ていて楽しいものもあれば考えさせられるものもあり、勉強にもなる。

 この美術館は一階の受付と同じ高さに、地階の展示室を吹き抜けで臨める回廊があるのだけれど、普段はそのスペースは立ち入り禁止となっている。展示室は主に地階と二階のサロンミューゼ(企画によって地階からのときと、二階からのときとあり、本展示では二階から)で、本展示ではさらにくだんの回廊にも展示があり、18禁のコーナー(人形ということで、2014年に閉館した嬉野武雄観光秘宝館の「有明夫人」やオリエント工業ラブドールを展示)としてある。地階を臨むつくりも、実際に拝見できる機会は少ないため、おすすめである。(参考:美術館について|渋谷区立松濤美術館

 さて二階の展示室に入ると出迎えてくれる人形代(ひとかたしろ)(男・女)は、平安時代の京都で呪殺に用いられたものだそうで、男と女とそれぞれ、簡素な人形に人の名前が記されてる。呪われた相手がはたしてどうなったのか、名前を書いた側が何故、二人を呪い殺そうとしたのか、おどろおどろしい想像が膨らむ。

 サンスケは藁や木で作られたシンプルな人形。津軽地方では山で働くヤマゴが12人で山に入ると、山の神様の怒りを買って災いがあると言われていたそうで、やむを得ず12人で山に入る際に、13人目として連れて行かれる役割を担っていたそう。(

参考:サンスケ / 収蔵資料検索 詳細|青森県立郷土館 Aomori Prefectural Museum

 また同じ展示室に雛人形(立雛から座り雛まで)や、這子(ほうこ)・天児(あまがつ)といった、子供の健やかな健康を祈る魔除けの人形も登場する。ただ可愛い・綺麗だけでなく、人形の担った働きを知ることができる。展示の中で、平櫛田中による「気楽坊」が出てくる。そういう名前のお坊さんがいたのかと思って調べたところ、江戸初期の後水尾天皇徳川秀忠の娘と政略結婚させられことの慰めに作らせた指人形が名前の由来だとか。勉強になる。(参考:気楽坊 | 井原市山本鼎による農民美術運動についても、本展で初めて知った。

 展示が進むと戦時中、兵隊を送り出す少女たちが作ったという布製の人形が出てくる。慰問人形と呼ばれ、慰問袋とセットで作られた彼(女)らは、兵隊に銃後の守るべき存在を想起させて戦意を高揚させる役割を担っていたとか。慰問袋は寡聞にして初めて知った。ウィキペディアの該当ページには「戦地にある出征兵士などを慰め、その不便をなくし、士気を鼓舞するために、中に日用品などを入れて送った袋」とあり、ちり紙や石鹸などの日用品やら腹巻き、食料品、お守り、絵画など、中に入れられたものは多様であるようだ。

 他にも戦意高揚のための人形が展示されていて、絵画や文学等もだが、何もかもが戦争に向いていた時代なのだと、改めて気付かされる。一方で松﨑覚による「フョードル・ドストエフスキー」は、ロシアによるウクライナ侵攻に際して、しばしば侵略国の文化(この場合ロシア文学)にまで非難が及ぶことなどを踏まえて制作されたそう。作られた意味合いは違えど、戦争について改めて考えるきっかけとなる。

 印象に残っているのは、久保佐四郎・吉田永光の「諸国名玩集」。いまもガチャガチャであるような、日本各地の玩具、人形やら縁起物やらお面やらのミニチュア。眺めていてとても楽しい。江戸時代の根付にもミニチュア工芸品としての美しさがあると思うけれど、昭和初期の本展示品、そして現代のガチャガチャと、脈々とミニチュア品が愛されてきた歴史を感じる。

 また竹久夢二の影響で人形作家になったという堀柳女(重要無形文化財「衣裳人形」保持者、いわゆる人間国宝であった)の作品が、真に迫っており面白かった。「踏絵」は、江戸時代の長崎での踏絵の様子を描いた鏑木清方による絵画「ためさるる日」を題材とした作品。踏絵の様子、踏絵をしている人の心持ちがよく伝わってくる。(参考:吉徳これくしょん 堀 柳女作「踏絵」ページ | 雛人形(ひな人形)・五月人形の吉徳

 さて地階へと移動すると、先述した「フョードル・ドストエフスキー」のような、等身大の大きな人形が待っている。生人形(いきにんぎょう)、蝋人形、フュギュアなどで、どれもリアルである。等身大の見世物として江戸後期から作られていた生人形は、後に百貨店のディスプレイでマネキン人形として使われるようになったとか。時代・場所によって人形が求められる役割も変化してくる。

 総じて人々が人形に託した思い、願いであったり欲望であったりが見えてくる点が、興味深い展示であった。展示の中で人形というものが、芸術なのか否かという話も出てくるけれど、私にとってそれはさほど重要ではなかった。それよりもなぜその人形が生み出されたのか、あるいは利用されたのかという、作り手ないし使い手の気持ちを想像することが、私にとっては関心事であった。

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