哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2023年7月の徒然なること

■2023年7月の徒然なること

 もう8月も半ばに差し掛かる。ごめんなさい、遅くなりました!

●絵画等のこと13.03「三沢厚彦 ANIMALS/Multi-dimensions」@千葉市美術館

 千葉市美術館にて開催中の「三沢厚彦 ANIMALS/Multi-dimensions」(2023年6月10日[土]- 9月10日[日])を拝見した。

三沢厚彦 Misawa Atsuhiko

1961年京都府生まれ。幼少期から京都や奈良の仏像に親しむ中で、彫刻の魅力に惹かれ、彫刻家を志す。高校、大学と彫刻科で学び、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程彫刻専攻を修了。小学生の頃からポピュラーミュージックにも親しみ、音楽に対する造詣も深い。2000年に動物の姿を等身大で彫った木彫「ANIMALS」シリーズの制作を開始。同年より西村画廊(東京)で個展開催。その後も現在まで各地の美術館で個展を多数開催。

 千葉市美術館建物の外には、ライオンが鎮座。三越の前にライオンの銅像がいるけれど、昔そんなライオンの銅像が動き出す物語を読んだ覚えがある。小学生時代の国語の教科書であったか? とにかく、こちらのライオンも動き出しそうな存在感と、一方でコミカルなカラーリングから喋りだしそうなファンタジーを感じさせ、不思議な印象を受ける。通りすがりと思しき家族連れが写真撮影をしていた。公道に面した場所に作品を置くことで、高い広告効果があるのではと思う。盗難や破損が心配ではあるけれど。

 美術館内に入っても、各所で可愛らしく、存在感ある動物たちが出迎えてくれる。企画展示の入口はもちろん、施設全体のエレベータホールや常設展示等、色々なところに子熊や鳥のようなANIMALSが控えている。

 特に印象に残っているのは、最終盤の立ち上がったキメラ(Animal2023-01)。背丈が3mくらいあっただろつか、手が私の背丈くらいの位置で基本的にはライオンなのだけれど、尻尾がヘビ、背中に人間の顔がついている。とても大きくてどぉーんという圧があり、面白い。

 つくりかけラボも企画展示と連動した「三沢厚彦 コネクションズ 空洞をうめる」を開催中。端材と絵の具、ボンドや両面テープを使って、なにか形を作って色を付けて、展示していくという催し。私ももちろん、童心に帰って作品を作ったが、自身の不器用さを再認識した。

能楽どうでしょう6.02「2023年7月17日 誠翔会@セルリアンタワー能楽堂」のこと

 狂言方大蔵流、大藏基誠の一門による狂言の公演。基誠はじめ、大藏家の面々がシテ(主役)をつとめ、家の外から内弟子に入った人々はアド(相手役)に回ることが多いが、今回は上演された三曲(三作品)とも内弟子がシテをつとめるという構成。「痿痺」(浅野蒼啓)「末広がり」(冨田昌美)「棒縛」(田中惇之)を上演。
 冒頭とおしまいに、基誠(おしまいには従兄弟の大藏教義も)が出てきて、おはなしがある。冒頭、基誠の声に答えて初めての狂言鑑賞となるお客様が手を上げていたけれど、これがかなり多い。お子様も多く、普及という点では素晴らしい成果だと思う。普及向け公演がやりたくても、蓋を開けてみると常連の能楽ファンだらけという公演も多く感じるが、本当に初心者を集められる、しかも席も、八〜九割が埋まっているというのはすごいことである。
 「末広がり」の冨田昌美は披キ(重要な曲の初演)であり、狂言師として節目の上演。上演も楽しめたし、冒頭のおはなしでの基誠による「むしおさえ」という言葉を使った作品解説は非常に見事。作中、「かさを差すなる春日山、これも神の誓ひとて、人がかさを差すなら、我もかさを差さうよ。げにもさあり、やようがりもさうよの」という囃し物が出ててる。
 またこれもおはなしから「棒縛」が琉球狂言にもあり、そちらでは三郎冠者が出てきて、みんなで酒盛りをして終わるということを初めて知った。勉強になる。
 
●映画等のこと16.01「君たちはどう生きるか」のこと

〈以下、ネタバレを含みます〉

 スタジオジブリによる、宮﨑駿が原作・脚本・監督をつとめる、長編映画。上のビジュアルが公開されただけで、中身をまるで出さないという広報手法が話題であった。登場人物や出来事が雑多であり、それぞれの登場人物の言動がなぜそうなるのか、私には理解しがたいことが多かったため、色々思い返して整理しないとよくわからないな、というのが第一印象。
 主人公・牧眞人のある嘘というのが一つ重要な出来事なのだけれど、その嘘を含めて登場人物にはそれぞれそうした過ちを犯している。眞人たちは太平洋戦争中の日本(現実世界)にいて、もう一つ眞人の大おじが作った? 異世界が存在する。現実世界では戦争で人が殺し合っていて、眞人の父親(ショウイチ)は戦闘機を作っていて、妻(ヒサコ・ヒミ)を亡くしてまもなくしてその妹(ナツコ)と再婚し、ナツコは早速眞人の弟か妹を姙娠しているし、七人の小人たちのような七人のばあやたちはショウイチの持ち帰った荷物を漁る、煙草を欲しがるなど人間らしい欲に満ちている。
 一方異世界は、大おじが皇帝のような立場であるが、一方で最大勢力は鳥であり、巨大なセキセイインコの大王が支配している。欲にまみれた世界から飛び出したもう一つの世界は、また別の欲にまみれた世界だった、というような印象。そうかこの作品は欲や悪意を描いているのか。
 異世界は他の時代や様々な場所? と繋がっていて、眞人は若い頃の母であるヒミとばあやの一人であるキリコに助けるれるのだけれど、その世界構造がそもそも謎であり、とにかく、よくわからないのである。多分、わからないように作っている。それを考え続けさせたいのだろうと思う。

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