哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

しょうそう

■ しょうそう

 第四コーナー回って、三番サンライズコルトンに代わって、黄色い帽子、ハートホールが先頭にあがる。二番手サンライズコルトン、人気のセンリュウは外、外を回って、脚色を伸ばす。
 直線向いて、ハートホール先頭、内にサンライズコルトン。ハートホール突き放すか。
 残り二百、先頭はハートホール、外からフリータイムサロン、一番外からセンリュウがいい脚で伸びてくる。
 センリュウ先頭、ハートホール、センリュウ、最内、するするとタムラサポート。タムラサポート交わした交わした、タムラサポート、センリュウ。センリュウ、タムラサポート伸びる、タムラサポート、一着でゴールイン。人気のセンリュウは二着、次いでフリータイムサロン。
 人気薄、タムラサポート、重賞初制覇。内、一頭分の隙間を突きました。

 

 例年、六月も半ばになれば、梅雨がやって来るのだと思っていた。この数年の日本はどこか妙だ。梅雨が来る前に夏が来てしまったような、そんな日曜日。
 スマートフォンの画面に映し出されたサラブレッドたちは、毛色は様々なれど、強い日差しの下でツヤツヤと光を放っていた。競馬場に赴けば、ゴール板前で馬券を握りしめて観戦することもある。ただ、こうしてスマートフォンで観戦するときは、馬券の購入も、万が一当たった時の払い戻しも、スマートフォンの中で済んでしまう。俺の銀行残高が週末の度に、減ったり減ったりするだけだ。

 俺は耳から、ワイヤレスのイヤホンを引っこ抜くと、電源を落とした。

 七歳牝馬、ハートホールは焦げ茶の馬体に、黒いたてがみの地味な馬で、今日は五着。大きな怪我もなく三十八戦三勝。三歳の頃に大きなレースの前哨戦を勝って少しだけ話題になったが、本番では惨敗。その後も善戦はするが、勝ちきれないレースが続いていた。
 そもそもハートホールが四歳以降に出走した、ほとんどのレースで手綱を取っている平井騎手が、地味で勝ちきれない騎手である。前の方につけて、早めに抜け出して、前残りを狙う。馬の力をきちんと出し切る騎乗で、当然力がある馬であればそれで押し切るのだけれど、早めに先頭に立つ分、大抵は目標にされて、ゴール直前で交わされる。それでも、不利を受けることが少なく、堅実な着順には入ってくるので、騎乗の依頼は多いようだが、ファンからは面白みのない騎手と思われることが多いようだ。
 俺のハートホール一着を予想した馬券は、リアルに購入していれば、紙くずとして確かに存在したはずなのだけれど、そうではないのでスマートフォンの画面の中で、静かにデータとして残り続ける。俺が九番の馬に投票を行ったことと、そしてその投票に対する払い戻しは行われていないこととが。

 エアコンからの冷たい風が、顔にかかった。喫茶店の店員が、紙パックから注いでくれた、酸っぱすぎるコーヒーをストローで吸う。氷が溶けて、水のような味がする。俺の休日はこうして、よく言えば穏やかに、過ぎていく。
 ぶぶぶっ、机の上に伏せたスマートフォンが振動する。誰かから、メッセージが届いたのかもしれない。慌てて画面をつけてみると、行きつけの大衆居酒屋からの、割引のお知らせであった。

 

 草いきれに包まれて、俺は走っていた。俺の周りには様々な毛色の、馬、馬、馬。皆一様に、汗を滴らせ、目を血走らせながら、騎手を背に走っていた。
 後ろから、俺に並ぼう、追い抜こうとしている黒い馬がいた。俺の前に、もう疲れてスピードの落ちてきた灰色の馬もいた。右側、俺の内側を行く栗毛は、前に出ようとして騎手になだめられている。そんな光景が、同時に目に飛び込んでくる。四方八方からの情報に、俺はやや面食らっていた。

 そうか、俺は馬なんだ。不意に、そう思い至った。

 馬の視野は三百五十度と言われている。ほぼ真後ろまで見ることができる。誰も馬になったことがないのに、よくわかるものだと思うのだけれど、実際自分が馬になってみれば、自分の焦げ茶色の馬体や黒いたてがみも、ばっちり見ることができた。
 そして同時に、これは夢かしらと、思った。なぜなら、俺は本当は馬ではないからだ。
 それでも、なんとなく走り続けていると、前に出たい、という衝動が、俺の腹の底の方から、沸き起こってきた。前を行く灰色の馬を交わして、先頭に立ちたい。後ろの黒い馬を突き放したい。しかし、俺の理性は告げていた、まあ待てと。俺も、もちろん馬である俺だが、だいぶ息が上がっていた。こんなところから頑張っていては、ゴールまで持たないぞ、俺は冷静にそんなことを思っていた。

 前を行く灰色の馬がそのままスーッと離れていく。後ろから黒い馬が俺を交わし、突き放していく。気がつけば、隣の栗毛もいなくなっている。それどころか、周りを囲んでいたすべての馬が、俺のはるか前を走り、俺から遠ざかっていた。
 俺は懸命に四本の脚を動かした。確かに地面を蹴りながら、俺はちっとも前に進んでいる感じがしなかった。皆が俺から遠ざかっているように見えた。
 なんだかまた、夢のようであった。夢の中で白昼夢を見ているような気分だった。そして、とてつもない恐怖を感じた。誰もが俺を置いていってしまい、一人ぼっちになってしまうような、不安を覚えた。

 場面がフラッシュバックした。俺はまた、多くの馬たちに包まれていた。俺は様々な思考をかなぐり捨てて、ただ恐怖に打ち勝つため、前に、前に……。

 

 涼しい風が俺の身体を撫でていた。目の前を、小学校中学年くらいであろう男の子が、自転車で行ったり来たりしている。日向のベンチに座った、別の少年の前に、自転車を急停車させてみたりする。
 俺にはその往復運動に、どれほど意味があるのか分からなかった。

 相変わらず夏のような日差しであったが、日陰のベンチに座る俺に吹き付ける風に、俺は寒気を覚えた。

 少年はなおも、往復運動を続けている。それより意味のあることはいくらでもある、多分。薄い水のようなアイスコーヒーも、俺が現地で観戦していたら手元で握りつぶしていたであろう、ハズレ馬券も。

 だけど。

 不意に不安が増す。

 俺には?

 俺の存在には、その自転車の往復より、意味があると言えるのだろうか。

 

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