哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ブログの投稿日について

■最近読んでいる本について

 最近、メンターに勧められたこともあり、『嫌われる勇気』を読んでいる。その中で語られることだが、世の中の悩みはすべて対人関係なのだという。考えてみれば、確かに全てはそこに還元できるのかもしれない。例えば、私が今、気にしていることは、ブログを開設して一月、誰も読んでいないのだが、それでも毎週土曜日に投稿すると謳っていままでやってきた。しかし、今週はそれを大きく遅れてしまい、結局、投稿を毎週日曜日にすることに主義を変更した。狂信的土曜日主義者から、日曜日原理主義者への宗旨替えである。しかしそれも、気にしているのは土曜日がどうとか、日曜日がどうとか、そういう話ではない。それよりも土曜日に投稿すると謳いながら、あっさりと設定変更に踏み切る自分を誰もいない読者がどう思うかが問題なのであり、そのような卑劣極まる行動を気軽にやってしまう、自分の根性の劣悪さを、人々がどう見、その私の卑劣さが他者の清純さと比して、いかにどす黒く薄汚れているかが問題なのである。そこには、私の深層心理の中に、みんなはこういった宣言、目標をやすやすと乗り越えて、毎週土曜日に投稿しているのだろうという、根拠のない憶測や読心術が働いており、それはやはりどうあがいても対人関係の問題の中にとらわれているのである。

 そういった意味で、確かに悩みは対人関係であるな、と思うわけである。

 またもう一つ、その本の中では原因追求ではなく目的論的に物事を考える、というのがある。例えば私が土曜日にブログの投稿をできないのは、原因追求で考えると、忙しいから投稿ができない、ということになる。しかし目的論で考えると、私が土曜日にブログの更新をしたくないから、忙しく感じている、ということである。つまり土曜日に投稿を行いたくないがために、忙しさを作り出している、ということである。それはあるかもしれない。実際、そこまでは忙しくないのである。平日に、土曜日の投稿の準備をする時間は、いくらでもあるのである。それだのに、投稿ができていない。それはつまり忙しいという原因があってそうなっているのではなく、そもそも土曜日に投稿しないという目的があるからこそという、下衆の所業があるわけである。

 そう考えれば、そもそも土曜日に投稿したくないのは何故か、何故土曜日に投稿しなければならないのか、より根源的な疑問に考えを移すことができる。建設的だと思う。

  
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

■ブログの投稿日について

 ブログの投稿日を毎週土曜日から、毎週日曜日に変更することとした。このブログの何千、何万の読者諸君に対しては大変失礼なことをしていると思うのだが、平日から土曜日にかけて、本業が甚だ多忙であり、ブログ投稿の準備を行う時間的余裕がないことがその理由である。あい申し訳なく思うが、ご了承願いたい。

 

■デザインの勉強

 今年度になって、本業で異動して、外向けのチラシを作る機会が増えたため、デザインの入門書を、市の無料貸本サービスで取り寄せて、拝読している。手書きであらかじめラフスケッチを描くことや、フォントは奇をてらわずに、明朝ないしゴシックで統一すること、色は明度対比を中心に、抑揚をつけること等、当たり前のようで言われないとできないことを沢山知ることができている。なかなかおもしろい。デザイナーになりたい、そんな夕べである。