哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ペンギン・ハイウェイのこと

■映画ペンギン・ハイウェイを観に行ってきた!

 平成30年7月8日、僕は映画ハン・ソロを観に行った。場所は千葉中央駅直結の映画館、京成ローザ10である。駅から外に出ずに、映画館に入れることを、僕はとても素晴らしいと思うものである。京成ローザ10では券売機で鑑賞券を買って、機械に磁気式のポイントカードを通すことで、ポイントが付与されるのであるけれども、その日僕は、機械が吐き出したポイントカードを受け取るのを忘れたようであった。それは帰宅後の僕の財布におけるポイントカードの決定的な不在が、確固たる証拠であった。僕はそのポイントカードの紛失を非常に残念に思うものである。ちなみにハン・ソロの内容について、僕はノートに、面白くなかった、と書き残している。

 それから2か月ほどが経った9月2日のことである。僕はまた京成ローザ10に赴いた。映画ペンギン・ハイウェイを観るためである。チケット売り場のお姉さんに向かって、ポイントカードを紛失してしまったので、新しく申し込みたいと申し出た僕に対して、お姉さんは忘れ物にないか確認すると言ってくれた。僕は僕のポイントカードがどこかに行って、悪い人に捨てられているものと思っていたので、あまり期待はしていなかったのだけれど、お願いしますと言った。ところが、戻ってきたお姉さんの手には、確かに僕のポイントカードが握られていたのである。これは大変喜ばしいことであった。京成ローザ10のお姉さんの親切な対応に、深く感謝をするものである。

 またさらに驚くべきことに、その僕のポイントカードは、ちょうど一回分、映画をタダで鑑賞できるだけのポイントを蓄えており、僕はそれを使って、ペンギン・ハイウェイをタダで鑑賞することができた。これは非常な幸福であり、僕にそのような栄光を与えたもうた神に、深く頭を垂れるものである。

 

penguin-highway.com

京成ローザ10

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ペンギン・ハイウェイを観て感じたこと

 僕はペンギン・ハイウェイの原作が大好きであった。とはいえ、それはずっと前に一度読んだだけの印象であった。それだけに、映画を観ていて、あれ、こんな話だっけ、と感じた。ハマモトさんのアオヤマくんに対する恋愛感情が強調され過ぎな気がしたし、話のスケールが不必要に誇大化されているようにも感じたし、大人対子供みたいな要素が前面に押し出され過ぎているように思ったのだ。その点で、僕は石田祐康監督に対して、密かな憤りを覚えたのである。怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ。そうアオヤマくんは言うけれど、僕は原作と違う気がして悲しかったし、怒ったのである。しかしハマモトさんとアオヤマくんの、でもお姉さんにはおっぱいが存在してる。おおいに存在しているね。というやり取りがきちんと再現されている点に関しては、満点の評価を与えたい。

 そこで僕は原作を読み返してみることにした。僕は一週間かけて、原作の文庫本を丹念に読んだ。そしてわかった。映画と原作は、大してストーリーに違いはないのである。これは本当にびっくりした。僕の記憶が薄れていたことももちろんだが、よもやこれだけ映画が原作に忠実な作品だとは思えなかったのである。そして、僕にそれだけ違った印象を与えた要因について検討した。原作はアオヤマくんの記したノート、日記のような体で、全てがアオヤマくんの目を通して語られる。ところが映画は、アオヤマくんのナレーションによって彼の心象が語られるとはいえ、アニメーションなので映像として、目の前の情景が描かれる。この違いではないかと思う。

 この作品には、アオヤマくんの周りで起きる物語と、彼の思考、感情などの内面の部分と、二つの要素が含まれる。もちろんそれらは互いに影響しあっているのだけれど、しかしその片方だけに、僕は重く着目していたのである。つまり、映画では表面に、原作では内側に。こうした錯覚につき、一度でも石田祐康監督を疑ったことに、僕は反省と謝罪を行うものである。

 とはいえ、僕は森見登美彦氏の原作のほうが好きなのは、やはり変わらない。原作にこんな部分がある。「でもぼくは仮説を立てたいのでもないし、理論を作りたいのでもない。ぼくが知りたいのはそういうことではなかった。そういうことではなかったということだけが、ぼくに本当にわかっている唯一のことなのだ。」アオヤマくんの考え、未知のものに対して不思議に思って、研究して、学んでいく気持ち。アオヤマくんは大人びているけれど、きちんと子供らしく瑞々しい感情を持っていて、それで世界に挑むから、僕は彼の考えに大いに感じ入る。そういった彼の気持ちにそっと、しかし直接に触れられるのは、やはり原作のほうだと思う。

 人々はこの素晴らしい映画を是非、映画館で鑑賞すべきである。その上でその内容に感激いたした者は、速やかに原作を紐解くべきである。そこには映画以上に素晴らしい光景が開けているはずである。しかし映画の内容に心動かされなかった諸君もいるだろう。そんな方々こそ、速やかに原作を紐解くべきである。そこには映画とは違った素晴らしい地平が開けているはずである。