■能楽師狂言方大藏流大藏家と和泉流野村家との血みどろの抗争のこと
2019年、平成最後の年、能楽界に激震が走っている(ウソである)。
そもそも能と狂言の総称である能楽において、役者は4つのグループに分類される。能で主役を務め、また地謡というコーラスも担当する「シテ方」、相手役を務め、しばしば異界のものを演じるシテ方に対して、現世の人間(僧や旅人)を代表する「ワキ方」、バックで楽器演奏を行う「囃子方」、そして能の前半と後半のつなぎで登場し場を盛り上げたり説明したりするほか、独立したコメディである狂言を演じる「狂言方」の4つである。
このそれぞれの役割の中で、流派がいくつかある。例えばシテ方なら、観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流と、5流派があり、またその流派の中にも場合によっては家で分かれており、それぞれの流派や家で、台本や型がある、ということになる。
さて、狂言方には流派が二つある。大蔵流と、和泉流だ。この内、大蔵流宗家の家柄である大藏家と、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式演出の総合統括責任者を務める野村萬斎師を擁する、和泉流野村家との間で、能楽界を二分する熾烈な争いが行われているのである(ウソ)。大蔵流宗家大藏彌右衛門師の次男である大藏基誠師と息子康誠君が出演する映画『よあけの焚き火』が今年3月に公開となるが、その狂言師が出演する映画という話題性を、野村萬斎師が出演する映画『七つの会議』を今年2月より公開することで打ち消し、一気に攻め入ろうという噂が巷で流れているのだ(デタラメ)。だって、2か月続けて能楽師が主演する映画が公開なんて、裏に何かなきゃおかしいぢゃないか(妄想)。ほら、これからきっと、日本国民がみんな萬斎派と基誠派に分かれて大騒ぎになって、能楽史上初という盛り上がりを見せるんですよ、きっと(願望)。
というわけで、両家に争う気があるかどうかはともかく、映画を観てきたので、以下に感想を記す。
●よあけの焚き火
土井康一監督はこれまで主にドキュメンタリー映像の作成に携わってきた方であるようで、この作品もドキュメンタリーとフィクションと行き交いながらという言葉の通り、基誠師親子の狂言に取り組む姿勢や彼らが語る言葉は、事実であり、彼らの日常(ドキュメンタリー)なのだと思うし、一方で、それを取り巻く稽古場の周りの人々は、フィクションなのであろう。しかし彼らもまた、きっとそういう人物が実在するのだろうという現実感をもって存在し、勝手な想像だが、色々な事実(実在)を物語に再構成することでフィクションを作り出したのではないか、と、そんな印象を受けた。
それはまるでこの映画で描かれた空間が、日本のどこかに実在するのではないか、というリアリティを私が感じたからであるし、それくらい物語に無理がなかった。多くの物語は、その進行の過程で、不必要な谷や山を作り出すことがある。しかし、この作品はそういった作為的な谷山は感じられず、かと言って面白みがないわけではない、そういう、ごく自然に私の体に物語が染み入ってくるような、良い作品に仕上がっている。
ストーリーとしては、主人公である能楽師狂言方大藏基誠師が子どものころに、兄大藏彌太郎師とともに、父大藏彌右衛門師に連れられて滞在した、人里離れた山の中にある稽古場に、10歳になる息子康誠君を連れていき、そこで稽古をしたり、地元の猟師やその孫娘と交流したりする様を描いている。この稽古場というのが、何も能舞台などがあるわけではなく、古い日本家屋なのであるが、なんとも趣のある良い空間である。
外はしんしんと雪が降り積もる中、真摯に狂言に向き合う親子、畳貼りの部屋の鴨居には代々の大蔵流の狂言師の演能写真が飾られている、なんともゆったりとした時間が流れる良い映像である。もちろん、雪が止めば、その周りの世界も、親子は狂言の口調で、探索し、雪を投げ合い、素敵な場所となる。
そう、この親子は囲炉裏で味噌汁を沸かしながら、狂言『附子』の太郎冠者次郎冠者のセリフで会話したりと、日常の中に狂言を取り入れている。こういうことを本当になさっているのだろうか。それはわからないが、狂言という我々現代人になじみの薄い存在を、身近に感じるシーンであった。
さて、そんな素敵な空間の中で、一か月ほどの設定なのだろうか、すごす中で、息子康誠君や、猟師の孫娘咲子さん、それに基誠師も、それぞれに少しだけ、成長したり、つかんだものを得て、また親子は舞台に帰っていく。
この物語は半分はフィクションであるが、半分は本当だ。親子の狂言への熱意を、感じることができて、舞台をみにいきたい、そう思わせてくれる作品であった。
ちなみに、この映画に着想を与えたのは、唐の詩人・柳宗元による七言古詩「漁翁」をモチーフとしたユリ・シュルヴィッツによる絵本『よあけ』だそうだ。今日、これを読んでみたくて、図書館に足を運んだのだが、生憎と貸し出し中で、読むことはかなわなかった。予約を入れるほどのことでもないので、またその内、返却されたころに眺めに行ってみようと思う。
- 作者: ユリー・シュルヴィッツ,瀬田貞二
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1977/06/25
- メディア: 大型本
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●七つの会議
言わずと知れた、池井戸潤原作の作品である。日曜9時のTBSドラマ日曜劇場に登場した役者が沢山出演している。歌舞伎役者、市川中車、片岡愛之助、落語家、春風亭昇太、立川談春、それに北大路欣也、小泉孝太郎、朝倉あき、木下ほうか等々。
萬斎さんはある企業の営業部のぐうたら係長という役どころ、しかしこの男がぐうたらになったのは20年前のある出来事がきっかけであり、実はそのきっかけの謎と現在の営業部での問題がリンクしている。
現在の社内での権力争い、不祥事、そういったものを色々な人の視点で群像劇のように進められる上、萬斎さんはとにかく、途中まで表向きは何もしない働かない係長であり、なおかつ一時は不正を疑われる等、あまり主役として物語を進行させるわけではなく、むしろその萬斎さんの上司でありながら、彼や部長の香川照之に振り回される課長、ミッチーと、営業部の伝票係であった朝倉あきとがクライマックス近くまで物語を引っ張ることになる。
面白かった、文句なしに面白い作品に仕上がっている。池井戸作品にありがちな、過剰な復讐をあおるような描写は少なく、むしろみんなが何かしら悪者であるため、心を痛めずにみることができる。エンターテインメントとして、良作である。