百万……?
能を見る前は、できるだけその演目について、知ってから鑑賞するようにしている。特にこのところ大切に感じているのは、詞章を読み込むことである。能の詞章(セリフとウタイ)は、室町時代の文語で書かれているので、意味がパッと分からないことがある。パッとは分からないが、テキストとして読む分には、全くわからないのではなく、調べながら読めば、きちんと言いたいニュアンスは分かる。また当日の演目においてそれを耳にした時には、能面の中でくぐもった声、意図的な低い声となるため、そもそも聞き取ることさえ難しくなる。そんなときに詞章をあらかじめ入手して、それに目を通しておき、公演中もちらちら詞章を確認すると、大分話の流れが分かり、楽しく能楽鑑賞ができる。あらすじだけ調べておけばOKという人も多くいらっしゃると思うが、今のところ私にはそれは馴染まなかった。能という芸能は、そもそも途中で眠るものである。そうなったときに、 あらすじを知っているだけでは、自分がどこからどこまでタイムリープしたのかわからなくなるが、詞章があれば多少は安心である。だから私は詞章に目を通すのである。そして以下は、次回の能楽鑑賞に向けて、私がその日の演目と格闘した、メモ書きである。
■頼政のこと
・なほ行く末は深草や: 小町の百夜通いで有名な深草少将(「通小町」「卒塔婆小町」)の屋敷は深草の里の欣浄寺(京都市伏見区)にあったとされる。
・恵心の僧都:『源氏物語』に登場する横川の僧都のモデルとされる。
・勧学院の雀は蒙求を囀る:勧学院の雀は、学生が「蒙求(易経の一句)」を読むのを聞き覚えて、それをさえずる。ふだん見慣れ聞き慣れていることは、自然に覚えるというたとえ。門前の小僧習わぬ経を読む。
・朝日山:平等院の山号。平等院は元、光源氏のモデルとされる、源融(「融」)の別荘。
・蝸牛の角の争い:つまらない争いのこと。
■葛城のこと
・葛城山:大和葛城山。奈良県御所市と大阪府南河内郡の境にある金剛山地の山の一つ。かつては金剛山を含む葛城山脈を総称して、葛城山と呼ばれていた。
・笑止:困っていること。困っている様。
・岨:山の崖が切り立って厳しいところ。
・常陰:山間のいつも陰になって日の当たらないところ。
・無影の月:コトバンクによると、無影=「影のないこと。光のないこと。また、光のうすいこと」どっち?どっちなの、月が真ん丸なの? それとも光ってないの? 能ドットコムのストーリーペーパーは、「影のない月」だと言っているので、そういうことでしょう。
・標:「細長く伸びた若い木の枝(学研全訳古語辞典)」という意味では、「楉・細枝」をあてるように出てくるが、まあこのことでしょう。(Web検索したら、ちょっと素敵なお店が出てきた。→標 しもと)
・大和舞:国風歌舞。大和地方に伝わったもの?(雅楽 GAGAKU|文化デジタルライブラリー)
・しもとゆふかづらき山に降る雪の間なく時なく思ほゆるかな:古今和歌集の一。
・高間山:奈良にある金剛山の異称。
・五障の罪:仏教において、女性が負うとされた、五つの障害。
・三熱の苦しみ:竜や蛇が受けるとされる、三つの苦しみ。熱風・熱砂に身を焼かれる、悪風に衣服・住居を奪われる、金翅鳥(ガルダ=ナーガ(へび族)の敵)に食われる。
・索(さっく):仏像の持っている縄。
・五衰:天人の死期の五つのしるし。
・無常正覚:最高の悟り。
・法性真如:事物の本性。
・玉鬘:つた、つるの美称。
・小忌衣:神事等に使われる上衣。
■百万のこと
・嵯峨の大念仏:京都市右京区嵯峨の清涼寺(釈迦堂)で行われる、大念仏会。
・恋草を力車に七車積みて恋ふらく吾が心から:万葉集の一。
・女物狂:能の世界では(というか室町時代は)子どもがいなくなって母親が物狂(繊細、センシティブ)になりがち。再会できない曲に角田川とか、本曲と同様に再会する系だと桜川とかがあるが、母親が九州から茨城県くんだりまでいって物狂う桜川より、本曲の奈良→京都は、とっても省エネ。そういえば三演目の舞台が奈良、京都に集中しているのは、何かの策略だろうか。
・鸚鵡の袖:逢うむの袖?
・牛羊怪街に帰り鳥雀枝の深きに集まる:徳を積めば多くの人が徳を募って集まってくるたとえ。
・徒波:大して風もないのに立つ波。変わりやすい人の心。
・安居:僧たちが遊行をやめて一ヶ所に集まる。主に雨期~夏、虫たちの活動が活発になる時期に彼らを蹴殺さないように、という目的らしい。さだまさしの小説『解夏』はこの安居が開けることの意で、当然この安居ごモチーフになっているが、しみじみととても良い。
と、以上が詞章を読みながら、私がWeb検索した言葉や、考えたことである。まだ観能まで一週間あるので、もう少し頑張る……。