哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

続・最近見たもののこと

 私が最近見た、映画とコンサートについて書きます。

 

■すみっコぐらし飛び出す絵本とひみつのコ @イオンシネマ幕張新都心 のこと

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 大人気のキャラクターすみっコぐらしの劇場アニメ。彼らの純粋な優しさであったり、仲の良さにほっこりして、最後はウルっと来る。

 喫茶すみっコの地下室にある、飛び出す絵本に吸い込まれてしまったすみっコたち。桃太郎や赤ずきんちゃん等の世界をさまよいながら、自分探し中のひよこのおうちを探してあげつつ、自分たちの帰り道を探す、というストーリー。じぶんさがしなかまとして頑張るぺんぎん?はちょっとマイペースで素敵だし、恥ずかしがり屋のねこは可愛い。

 マッチ売りの少女の世界では、寒がりのしろくまが自分も寒さに震えていながら、ひよこにふろしきをかぶせてあげる。仲良く、友達のために何かをしてあげる。素敵である。

 彼らの凄いところは、私の様な大人(おっさん)まで巻き込んでブームを引き起こしている点である。この可愛い姿で一体いくら儲けたのか、計り知れない。すみっコたちはみんな部屋や座席のすみっこが大好きなのだけれど、例えばこの映画で桃太郎役となったねこは、恥ずかしがり屋で、すぐにすみっこを譲ってしまう。社会の中で言いたいことが言えずに引いてしまう我々は、それをああわかるなあと思いながら見る訳である。あるいは、トンカツはお肉は1%、残りの99%はコロモという、豚カツのはしっこ。そんな感じでみんなが、我々大人も共感できるような、コンプレックスを抱えているのが、おもしろい。それが時に、くだらないことで悩んでいるようで可愛らしかったり、自分に置き換えて一緒に考えられたりするのだ。

 とはいえ、このアニメ映画のメインのお客は、もちろん子どもである。普段、なかなか子どもが大多数の劇場にポツンとひとり飛び込んで映画をみることもなかったので、そういう意味では新鮮であった。子どもの反応は正直だ。すみっコたちがおかしなことをすれば笑うし、緊迫したシーンでは息を吞む。この映画の視聴を通して、自分がピュアになったことを確信している(実際にはなっていない)。

sumikkogurashi-movie.com

Jake Shimabukuro「TRIO TOUR IN JAPAN 2019」 @豊洲PIT,2019/11/17 のこと

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 ハワイの日系5世というウクレレプレイヤー、ジェイクシマブクロ。10年以上前、私がまだ高校生~大学生だったころ、割とウクレレに真剣に取り組んでいたころ、たぶん、ジェイク自身も売り出し中で(映画「フラガール」の主題歌を作ったりと)とても勢いのある時期であったのだと思う。その当時は(今以上に)私はお金もなかったし、またこうして生のコンサートに出かけていく風習もなかったので、彼を直接目にする機会はなかったが、今回、こうして生でジェイクの演奏を聴くことができて、大変感動した次第である。

 公演は大変盛り上がっていた。ジェイクは片言の日本語に英語混じりで、場を盛り上げていた。よろしくお願いシマブクロ、という鉄板ギャグに、最近中国ツアーで中国語を覚えたんだ、你好(ニーハオ)、謝謝(シェシェ)、好吃(ハオツー)、だけど一番好きなのは、麻婆豆腐、等と言って、皆を笑わせていた。さだまさしじゃないんだから、そんなに頑張らなくても良いのだけれど。
 中でもラストナンバーのCrazy Gを生で聴けたのが印象的である。これはハワイアントラディショナルで、非常にシンプルで短い練習曲だが、奏法をアレンジし、ジェイクは一回ごとに、観客の要望に応えて、どんどんペースアップして弾いてみせる。最後はYou're crazy! とジェイクが叫ぶ。ノリノリで、またハワイのジミヘンと言われる、ジェイクの超絶技巧を堪能できる。

 またもう一曲、Bohemian Rhapsodyもよかった。言わずと知れたQueenの名曲を、ジェイクはウクレレでカバーしている。演奏が素晴らしいのはもちろんだが、ロックパートのところで、Queenに寄せた(色とりどりの舞台後方の照明の)ライティングをしていたのも最高である。総じて、素晴らしいステージであったと思う。

 また、会場でグッズ購入をした人を対象に、終演後にサイン会が催された。一度建物の外に出されて、雨の中行列しながら順番を待つのは大変であったが、生のジェイクにニューアルバム「TRIO」にサインをもらえたことは嬉しいし、少しでも言葉を交わして、彼にThank you for coming! と言ってもらえたことは感激である。


While My Guitar Gently Weeps - Red Rocks Amphitheatre

さだまさし「新自分風土記コンサートツアー2019」 @東京国際フォーラムホールA,2019/12/5 のこと

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 さださんのコンサートは、たぶん4度目(東京国際フォーラム、松戸の森のホール21市川市文化会館、そしてまた東京国際フォーラム……)。いやさ、そういえば今年2月のらくごカフェ10周年の武道館に出ていたから、それを入れたら5度目か? ともかく、今回は本当に落語家のようによく喋って、精力的に歌っての3時間。以前にテレビで伺った、無一文の中学生まさしくんが見ず知らずの大学生に助けられて長崎に帰郷する噺が生で聴けたのがよかった。盛り上がったし、楽しかった。その噺の合間、話しすぎたから何かやるといって、唐突のにゃんぱく宣言歌唱、すぐに下関に話が戻るのも素晴らしい。後は長江の話や、新自分風土記の撮影での、春日大社東大寺への奉納の話など。えっ? 曲? CDで聴けばいいと思います。

 そもそも、何故さだまさしなのかと言えば、万城目学鴨川ホルモー』の主人公安倍がさだまさしの大ファンという設定で、そこから何か影響を受けた大学生当時の私はおもむろにさださんのCDを聴き始め、NHK今夜も生でさだまさしのさださんのしゃべりに触れ、ファンになっていったのだと思う。

 彼の作品の魅力はその曲の詞である。日本語の美しさを感じられる文章、そこで物語られていることの情景や、空気感を簡潔に表現する言葉のチョイス、それが私の感性に非常に合うというか、さださんの優れた部分なのだと思う。そうした言葉を操る力があるからこそ、曲も、トークも、小説も、高いレベルでさだまさしを表現することができているのではないかと思う。

 今回は「新自分風土記」と題した、セルフカバーアルバムに紐づけたコンサートツアーであり、演奏されたのはそのアルバム(2種類のCD)で取り上げられた曲だけである。長崎の望郷編はピアノ中心、奈良のまほろば編はギター中心の音作りとなっていて、新たなアレンジ・解釈で彼の名曲に触れることができる。とはいえ、セルフカバーである以上、過去のさださんのヒット作がふんだんに含まれているわけで、その最新アルバムをチェックしていない人でもこのコンサートは楽しむことができたはずだ。

 なお立て続けになるが、12月31日、私はさだまさしのカウントダウンコンサート(およびそれに引き続いた、生さだの収録観覧)に参戦予定である。楽しみであるが、よくよく考えたら、月に2回さださんを見るほどはファンでない気が、しなくもない。


さだまさし「主人公」( 「新自分風土記Ⅰ~望郷篇~」収録音源バージョン)

■総括

 さて、こんな感じで駆け足に、私が見たものについて書いてきた。もっとも、純粋に美術館で見たものについて書いた前回に比べて、今回は映画とコンサートなので、見(て聴い)たものである。

 以前より、美術館は好きであった。というか、絵を眺めるのが好きであった。いや、絵を眺めている自分が好きであった。絵には物語があって、それを綺麗に語っている絵を眺めて色々想像したりしなかったりした。

 また映画も好きであった。とはいえ、自宅で金曜ロードショーやネット配信、DVDで映画を観ようとすると、 途中で飽きることが多いので、映画館という空間で、あの寛げる座席に座っていることが好きなのだと思う。

 一方でこのところはコンサートや、舞台芸能(能や歌舞伎、落語等)を見る機会が増えている。以前はこうしたものにあまり価値を見出していなかった。理由の一つは金額である。美術展や映画が1000円台で楽しめるのに対して、落語はその倍程度、能や歌舞伎は3倍以上の金額を出す必要がある。

 もちろん、目の前である一定以上の技能を持ったパフォーマーが演じてくれるわけだから、モノを展示したり、上映したりするよりも、お金がかかるのは当然である。しかし逆に言えば、過去の名人や天才が自らの手で作り上げた作品や、長い時間と大金をかけて完成させた映画を観る方が、確実に美しいものに触れる機会になるのではないか、とも考えていた。

 しかし最近、コンサートや舞台芸能を生で鑑賞するようになり、その値段の高さは、単なる人件費以上のものかもしれない、ということに気づき始めた。生の舞台は何が起こるかわからない、常に動き続けているものだ。演者の側のコンディションで、そのパフォーマンスが良くなったり悪くなったりする。もちろん、その日の観客如何によってもだ。寄席ではしばしばあることだが、急に来場者の携帯電話の着信音が鳴り始め、それを噺家がきちんと笑いに変えてしまうことがある。こうしたライブ感がきっとその金額に含まれた価値なのだろう。そんなことを思いながら、私はまた、色々なものを見るのである。

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