以下の通り、最近見たものについて説明するものである。3つのトピックをあげて計画されしこの記事であるが、3つ目の記事を書かないという荒業によって完成を見た。その分、2つの記事について、濃度の濃いものになっているかというと、そういうわけでもない。だからといって私もあなたも、悲観する必要は一切ない。2つ分を薄っぺらく引き伸ばす努力は、全力で行ったつもりである。いわば、アメリカンである。言うなれば、アメリカンドリームですらある。この世は夢に満ち満ちているのだ。
■ハマスホイとデンマーク絵画 展 @東京都美術館 のこと
ハマスホイのことは知らなかった。いや、今も語るほどは知らない。だから、北欧のフェルメール、というキャッチフレーズに惹かれて見に行ったわけだが、フェルメールのことも、実は知らない(真珠の首飾りをつけたり、牛乳を注いだりしていた記憶はある模様)。ということはつまり、北欧に惹かれて行ったわけである。北欧は良い。欧(ヨーロッパ)の北の方にある場所のことで、北浦和みたいなものである。多分だけど鮭が美味しい。
さて、ハマスホイが活躍した1900年前後、ヨーロッパで流行した世紀末美術( 世紀末ウィーン - Wikipedia )をしり目に、何故かハマスホイに象徴される、家庭的なhygge(寛いだ雰囲気)を追い求めていたデンマークが、私は大好きである。この展覧会は、そのデンマークの絵画史をたどりながらハマスホイの出現までを概観する、わかりやすい展示であった。1800年代より、日常の光景を描くことを始めたデンマーク人たちは、1840年代よりナショナリズムの高揚を受け、デンマークならではの美しさで愛国心を示すようになる。1870年頃に発見された漁師町スケーエン( スケーエン美術館 - Wikipedia )にデンマークの海・自然やそれらと闘い共生する男たちと、それを見守る女たちに、プリミティブなデンマークの姿を見た画家たちは、ひゃっほいとこぞってスケーエンを訪れ、スケーエン派を形成する。一方そういった愛国主義的な画題が美術の本流で持て囃されることに反発した若手画家たちが幸福な家庭や室内を描き始めた1800年代最終盤、その流れに乗ってさっそうと登場したのが、ほとんどを首都コペンハーゲンに籠って、何ならコペンハーゲンのアパートを転々としながら、室内に籠って(時折、ロンドンに行ったりもした模様)画業に取り組んだのが、我らがハマスホイ氏、であるらしい。詳しくは本展に行けば解説されているので、是非、ご覧いただきたい。
さて、そんな私が気になった作品や画家は、以下の諸々である。
- パン屋の傍の中庭、カステレズ(クプゲ):パン屋の息子であったクプゲ、カステレズ城塞という軍事施設で父がパンを作っていて、この作品もその城塞付近で描かれたようだが軍事拠点の近くという印象がない、馬車が描かれ、近隣の自然が美しく描かれた作品である。
- 外科医クレスチャン・フェンガとその家族(ラアビュー):あまり人物画は好きではないのだけれと、これは家族の日常が綺麗に描かれていて、感じ入った。
- ブランスー島のドルメン(ドライア):巨石が神秘的。のどかで馬が描かれていて、馬をおう牧夫の声が聞こえてくるような作品。
- スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア(クロイア):青の時間と言う美しい海岸線が青に包まれた時間の作品。さわやかできれい。
- きよしこの夜(ヨハンスン):私は常々、きよし子とは誰だろうと思っていた。
- ロンドン、モンタギュー・ストリート(ハマスホイ):靄がかかったロンドンの街並みが静かに落ち着きがあって、リアル。私がロンドンに滞在した頃のことを思い出す。ま、ロンドン行ったことないけど。
■伝説の面打たち @東京国立博物館(本館14室) のこと
その一室は、東京国立博物館一階の最奥部にあった。能の舞台で使われるお面、能面(面(おもて))たちが、思い思いに笑って泣いている、素敵空間が。
能において、古来素晴らしいと言われた、神作・十作・六作と言われる、能面の作者(面打)がおり、神作については実在しない伝説上の人だそうだが、十作(南北朝期〜室町期)と、それに続く六作については、実在はしたとされているそう。それらの作品は後世におそらくこの面はこの人の作品でしょうと鑑定されたものも多く、依然はっきりしないところも多いそうである。
ともあれ、本展はそうした伝説に残る面打たちの作品をふんだんに展示したものである。
伝赤鶴作とされる南北朝期の「伝山姥」は、現在の山姥の面が耳がなく落ち着いた表情をしているのに対比して、耳がありユーモラスな、まだ洗練されていない雰囲気のお顔で、おもしろい。重要文化財である「三番叟(黒色尉)」は伝日光作のやはり南北朝期のもので、江戸期の能役者喜多能静による、鑑定の花押があるとのこと。
そうした古い時代の人々の、血汗、涙が染み込んでいるかもしれない、面がいまこの世に残っていることは喜ばしきことであると同時に、彼らは博物館の中で保存されていく、つまり舞台にはおそらくもう使われないわけで、それはもったいないことであるのかもしれない、と思った。