哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

映画等のこと⑭「すずめの戸締まり」

■映画等のこと⑭「すずめの戸締まり」

新海誠による新作映画「すずめの戸締まり」を拝見したので、感想を記す。

※ ネタバレを含みます。

映画『すずめの戸締まり』公式サイト

 お話は子供時代の岩戸鈴芽(原菜乃華)が廃墟のようなところを彷徨っているところから始まる。打ち上げられた何艘もの船が映し出され、それが2011年の東日本大震災後の東北を踏まえたシーンであると示唆される。そもそも震災の記憶をエンターテイメントとして、アニメーションで描き出すことにも、様々な意見があるのかもしれない。こうした懸念に対して新海はNHKの取材において「誰かを傷つけないよう、慎重に傷つく部分を避けて描かれた物語は、誰の心にも触れない」ということを、話している。その理屈自体は概ね同意できる。どんな不幸であろうと(あるいは幸福であろうと)、それに想起されて傷つく人はいる。だから誰かを(誰もを)傷つけないように物語を描くことは、そもそも不可能ではないかと思う。
 話を戻す。物語は高校生となったすずめを描く。すずめの現在の住まいが宮崎であると後にわかる。通学途中に「閉じ師」である宗像草太(松村北斗)と出会い、日本に(世界に?)災い(大地震)をもたらすみみずが出てくる扉(後ろ戸)の謎に巻き込まれる。すずめは、災いを封じる要石であった白猫?のダイジン(山根あん)を解放してしまい、そうたはダイジンによって、すずめの椅子(すずめが幼い頃に亡くなった母が残した形見)にされてしまう……。あらすじを文章に書くと、謎である。とてつもなくシュールすぎる。私は地震というと地下の大鯰が起こすというイメージであったが、みみずのような(竜のような?)生き物が地震を起こす、あるいは要石や後ろ戸にまつわる言い伝え等は実際に残され、信じられてきたものを参照しているよう。この辺りは興味深く、きちんと調べてみたいなと思う。多分、多忙を理由に後回しにするが……。

 そうそう、後ろ戸という古来より信仰されていた怪奇への扉をモチーフにしたことは、流石だと感じる。扉は作中に描かれている通り、行ってきます・ただいま、と、人々が日常生活で通過する場、そうした日常の記憶が残り、怪奇に繋がる、二つの意味を込めたモチーフを、私は面白く見た。
 ダイジンを追って、すずめとそうた(椅子)は高知、兵庫、東京、そしてすずめの故郷である東北へ、ロードムービーの楽しさと、新海作品らしい世界描写の美しさはある。以前、岡田斗司夫You Tubeの動画で、新海は世界を美しく描く(見る?)目を持っている、というような話をしていたが、まさにである。この人の描く世界はどうしてこんなに美しいのか、それは緻密な作業、描き込み、それだけではないはずである。
 ただ、そうした美しい絵を背景に楽しい冒険譚が描かれるのに加えて、すずめと、そうた・ダイジン・すずめの育ての親である岩戸環(深津絵里)・すずめの死んだ母である岩戸椿芽(花澤香菜)・道中すずめを助けてくれた人々・そうたの友達の芹澤朋也(神木隆之介)らとの関係性が描かれ……、詰め込み過ぎの感がある。例えばダイジンは散々そうたに意地悪な態度を取り、すずめを大いに困らせるのであるが、うちの子になる? と声をかけてくれたすずめと家族になりたかったのだという気持ちが、最終盤に描かれる。ダイジンが要石になった経緯や、要石であることの孤独、あるいはまた要石に戻るという決断をした背景をもっと知りたいと思わせてくれる。それはたまきやつばめにしても同じ。非常に一人ひとりのキャラクターが魅力的に作られているだけに、その魅力を示唆するだけでなく、背景を丁寧に描いてほしいなと思った。

 新海の初期作品「彼女と彼女の猫」「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」(あれ、一個抜けた?)は男女二人など、少人数の人と人との間の距離や関係性を描いたものであった。「君の名は」であえてポップに寄せたのだろうか、それ以降、「天気の子」そして本作と、多数の登場人物が描かれ(登場人物に感情移入しにくい)、人々の間のトラブルが町や日本や世界の存亡にも関係してしまう(セカイ系?)、そんなスケールの大きな物語を描くようになった。描かれる世界が大きくなるにつれ、描かれる一つ一つの事象についての密度が希薄になっていった、そんなように思う。本作のような最近の作品もエンターテインメントとして面白く見ている、しかし私が好きだった新海誠は、それ以前の新海だぞ、という愚痴のような感想を抱いた。

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