■渋谷で読書会(渋谷のラジオ FM87.6MHz/金曜日9:00-10:00)のこと
双子のライオン堂書店(港区)
東京・赤坂にある双子のライオン堂書店、店主の竹田信弥さんが毎週金曜日になさっているラジオ番組「渋谷で読書会」。ゲストをお招きして本や本屋にまつわるお話をされる他、「本や本屋に関する曲」や「ゲストのリクエスト曲」等のコーナーもなさっている。渋谷区のコミュニティFMであるため、いわゆるラジオでの聴取は近隣地域に限られるが、「渋谷のラジオ」の公式WEBページにてネット経由でリアルタイム聴取ができる他、公式noteにてアーカイブ配信がされているため、自分の移動時間やスキマ時間に聴くことができる。
私は2020年8月頃から番組を聴いていて、同じ頃から「サクラタカオー」というレディオネームでお便りも送っている。「本や本屋に関する曲」のコーナーでは、グレープの「追伸」をオススメしたところ採用いただき、ゲストの田中佳祐さん(ライター)と大いに盛り上がってくださって大層嬉しかった。
さてもう一つ、同ラジオのアイデンティティとされるのが「読書会」のコーナーである。こちらでは原則月ごとで課題作(短編)があり、リスナーはそれを読んで感想を送る。放送の中でお便りが読まれ、電波上・オンライン上で読書会をするという趣向である。課題作は私が聴き始めて以降は全て青空文庫にも収録されていて、どれも10分程度で読み終えることができる短いものだ。私は文学部出身で、読書が好きと言いながら、きちんと古い時代の著名な作家の作品に触れてきているとは言い難い。その点、こうして毎月の課題作で様々な作家に簡単に触れることができる機会はとても有意義である。
そういうわけで本稿では、過去に私が同コーナーへ送ったお便りの内容を、一部加筆や修正を加えながら、紹介するものである。
●やまなし(宮沢賢治)のこと
(2020年9月16日)青い光の綺麗なイメージ。なんとなく読み覚えがあったので、学校の教科書ででも読んだのだろうか。Webで検索して、クラムボンのことや、幻燈のこと等、謎なんだなーと知る。短く2度、3度読んでもつかみどころがなく、見えたけれどつかめない、という印象の作品。嫌いではない。
●道理の前で(フランツ・カフカ)のこと
元々は『審判』の一挿話から短編小説として独立して発表されたそうである。
(2020年9月19日)青空文庫「道理の前で」にて拝読しました。訳者の大久保ゆうさんがあとがきで、ゲゼッツの訳が多様であること、あえて「掟の門前」の掟から道理に変更されたことを書かれていて、ここをどの意味で考えるかで変わってくると思いますが、私はこの話が挿話されているという長編『審判』も未読ですので、あくまで「道理の前で」という短編小説の感想です。
わからないけれど納得できるというか、説明できないけれど感覚ではわかる、ような印象でした。読んでいて、満員電車でぶつかるみたいな、どちらが良い悪いでもないのに、でも互いに相手がぶつかってきたから自分は悪くないと思っている光景が浮かんで、人の数だけ正義があるから、この道理の門はただへき地の男だけに用意されたものなのかな、と思いました。そしてだからこそ道理の中は男が思い描くような光が差し込む場ではなく、男にとって普通で入っていく価値のないもので、男もそれを察したからこそ、門番は門を閉めて去ったのではないかと。考えさせられる難しい作品ですが、このくらい短いと考えながら読み返せて面白いです。
(2021年10月4日・百年ししの友の企画にて再読)この世界には道理に合わないことがたくさんあります。例えば場所取り禁止の競馬場のベンチを埋め尽くす、場所取りの新聞。人の道に外れているというと大げさかもしれませんが、そんな小さな不道理はいくらでもあります。
果たしてモンゴルひげとは何か? チンギス・ハーンのようなひげであろうか? そういえばモンゴルマン(漫画『キン肉マン』においてラーメンマンが変装した姿)というのがいたなと思って調べてみると、ラーメンマンの方は中国人のステレオタイプ的などじょうひげをはやしているのだが、モンゴルマンの方は耳のあたりから長い毛が出ている……。まさかこれではあるまい。ううむ。
道理というと、万人に共通のもののように感じますが、そうではないのかもしれないと、最近思います。日々、上述のとおりに小さな不道理に憤りを覚える中で、私の感じている道理と誰かのそれは違うのだと気がつきました。彼(女)の中では、また別の道理があるのでしょう。竹田さん、うっかりお返事を忘れていて、期限を過ぎてしまいましたが、参加いたしました。渋谷で読書会で読んで以来二度目でした。二回目ということもあってより細かく、気になる点に突っ込めた気がします。貴重な機会をありがとうございます。
●変な音(夏目漱石)のこと
(2020年11月18日)”山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。"
と"隣りの室で大根おろしを拵えているのだか"との表記を見るに、大根をおろしたものを大根おろしと呼び、大根おろしを生産する器具は山葵おろしであることがわかる。そして終盤、"よく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか。〜あれは胡瓜を擦ったんです。"という会話があり、私は山葵おろしで胡瓜を擦る様を思い描いた。その先である。"じゃやっぱり大根おろしの音なんだね。"という漱石の問いかけに対する看護師の、"ええ。"
ええ? いいえ違います、大根おろしではありません。山葵おろしで胡瓜を擦っていたのです。だろうと、私は激怒した。
大根おろしという器具があって、それで胡瓜を擦っているならそれもまあよい。しかし、大根おろしという器具がある世界なのであれば、何故冒頭に漱石は山葵おろしで大根をおろす様を夢見たのか?
大根が"だいこん"ではなく"だいこ"なんだぁ、とか、漱石が病室の造りを描写すればするほど、映像が浮かばなくなり困惑させられたこと等、私の感情を色々に揺さぶってきた本作であるが、大根おろし問題に関して、断固として説明を求めていく所存である。引用、だいこのルビは、青空文庫の表記に依りました。
●貨幣(太宰治)のこと
(2020年12月17日)青空文庫で読みました。読んでいて、先日、職場で弊社と書くべきところ、幣社と書いていたことに気がつきました。あーあ。
人間の様々な欲を眺める中で、それを仲介する貨幣の視点で、彼女に人格をもたせた、というのが、面白く上手いと感じました。
本筋とは関係ありませんが、例えば1000円札とかに、これを手にしたらハッシュタグ1000円札の旅をつけて、何市にいるかツイートしてね、とか書いておいたら、どこまで行くのだろう、という妄想で盛り上がりました。まあ、お札に落書きはいけませぬが……。
●ねむい(アントン・チェーホフ)のこと
(2021年1月7日)竹田さんが以前のラジオで、朗読があると仰っていた気がしたので、YouTubeでそれらしきものを探して聞いてみたのですが、話が頭に入ってこず、改めて青空文庫で読み直しました。音声は聞き逃すと戻れないのが、私のような集中力のない人間には辛いと思いました。ワーリカの労働環境がブラックすぎます。まるでブラック企業の会社員が狂っていくさまを見ているようです。辛い……。
●藪の中(芥川龍之介)のこと
(2021年2月18日)青空文庫で読みました。高校の教科書に載っていた気がして、というか、授業でも扱われた気がして、(それなのに中身を覚えていない)自分の記憶力のなさを再認識しました。読後、手帳に表を作って、証言をまとめて行ったところ、月毛の法師髪の馬は可愛いなぁ、と思い当たりました。
●野ばら(小川未明)のこと
(2021年5月4日)戦争の悲しみについて、とてもシンプルに真っ直ぐに描いていて、染み入りました。ありがとうございます。
●貉(小泉八雲)のこと
(2021年5月21日)物語に登場する紀伊国坂は東京赤坂に現存していて、赤坂駅から双子のライオン堂書店とは逆方向にあたる四ツ谷方面に向かうとある。坂に沿って延びる弁慶濠も現存していて、ただマップを参照する限りだと、濠に沿ってかけられた首都高四号線により、著しく景観は損なわれているように見える。江戸期にはその名の通り、坂に沿って紀伊和歌山藩上屋敷の広大な敷地があったようで、濠の対岸は彦根藩や尾張藩の中屋敷。紀伊のお屋敷は明治期に東宮御所へ、その後大正期に赤坂離宮、昭和期には迎賓館赤坂離宮と変遷した模様。迎賓館に落ち着く前は前回の東京オリンピック組織委員会の事務所としても使われていたそうで、時代によって移り変わった施設であることがわかる。で、何の話でしたっけ?
(Wikipedia / Google Map / 古地図with MapFan を参照しました)
●死神の名付け親(グリム兄弟)のこと
(2021年6月30日)青空文庫で読みました。米津玄師「死神」のMV公開のタイミングで、落語「死神」の元ネタを取り上げるとは、なかなかやるなと思いました。
第一話と第二話のバージョン違いがあり、それぞれ死神が足元にいるときは病人が助からない(第一話)、枕元にいるときは病人が助からない(第二話)と、話の内容が異なっており、その他、細々したところが違いますね。
この点、落語「死神」では、死神が枕元にいるときは病人が助からない、という設定ですから第二話に近く、ただしラストの寿命の蝋燭という設定は第一話に近い、といったところ。第二話の王の部下に殺されるか、死神に殺されるかの絶体絶命は、なかなかダークで上手い終わり方に見えますが、訳者記の中で主人公の医者が難を逃れたように描かれているのが、良かったような物語的には蛇足なような……。
落語「死神」でも主人公が調子よく生き延びる演出等もあり、こちらに解釈はゆだねられているような印象を受けました。また死神について”金もちでも貧乏人でも、差別なしにさらって”いくという表現で、死が誰にも平等に訪れるという真理が描かれていて、おもしろいと思いました。
●浅草紙(寺田寅彦)のこと
(2021年8月7日)おはらいおん。青空文庫で読みました。
冒頭、"十二月始めのある日〜都会では滅多に見られぬ強烈な日光がじかに顔に照りつけるのが少し痛いほどであ"り、"陽炎が立っているよう"でさえある旨が記される。話はそのまま縁側の浅草紙に移ってしまうため、寺田寅彦がいるその場所についてはこの短編からは判断できない。若い頃療養していた、出身地である高知県なのか、はたまた、十二月にこれだけ暑い、のであれば、南半球にいたのかもしれない(多分、違う)。
ともあれ、浅草紙とは今で言う、再生紙のティッシュペーパーやトイレットペーパーみたいなものらしく、寅彦はその浅草紙に原材料となった新聞やマッチ箱の柄や文字の残りを見つけ、美術や文学において色々なところからアイデアを借りてくることの類似性に思いを馳せるわけだが、その妄想の結びが良い。
"午砲の音が響いて来"て"飯を食うためにこのような空想を中止しなければならな"くなる。生きるというのは、文学や美術を論じる以前にまず食べることである。そして食べたら、然る後に出すことである。出したら出したで、"まだ改良の余地"がある浅草紙で、お尻を拭くのでしょうね。
●散歩生活(中原中也)のこと
(2021年10月23日)中原中也『散歩生活』、青空文庫で読みました。喋り言葉で書かれていて、古い?表現が多く、読みながら音にすることに難儀する一方、自身に語りかけてくれているようで、面白くもありました。私は、朝から賄屋が食事を持ってきて、30分くらい水を飲んで煙草をふかして、という中也の緩やかな時間を、たいそう羨ましく思います。