哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

能楽どうでしょう002「見る、知る、伝える千葉~創作狂言 ちばわらい~」のこと

■2023年1月8日「見る、知る、伝える千葉~創作狂言 ちばわらい~」@青葉の森公園芸術文化ホール のこと

千葉笑い

 千葉市千葉寺で、昔、大みそかの夜に住民が顔を覆い隠して集まり、奉行・役人から一般人に至るまでの行動の正否・善悪をあげつらったり嘲笑したりした行事。(デジタル大辞泉小学館

 物の本は千葉笑いを上のように解説する。小林一茶が「千葉寺や隅に子どももむり笑ひ」と俳句に読み込み、徳川家康も「声の目安箱」として黙認したとか。こうした行事の結果として、大晦日に笑い飛ばされないように我が身を改めるという人もいたそうである。

 しかしである、いくら顔を覆い隠したとて、声音で誰が誰かなど概ねわかってしまうのではないだろうか? つまりこれは匿名で悪口を言い合っているのではなく、匿名の体で、という行事なのではないかと思う。いわゆる無礼講というやつである。

 現在はTwitter等のSNS2ちゃんねる等の掲示板にて、匿名での情報発信が容易となった。もちろん、そうしたwebですら、ふとした拍子にその匿名性が崩れるリスクはある。それでも人々は匿名性を信じて、平気で他人を刺す。昔の人々はいかにお面などで顔を覆い隠しても、いくらでも身元が割れてしまうとわかっていたからこそ、不満を募らせた相手を刺すのではなく、笑いにしたのではないか。刺せば刺されても文句はいえまい。笑いは、やり返されたとて、屁でもない。

twitter.com

 そんな行事・千葉笑いを舞台化したのが、知る、見る、伝える千葉〜創作狂言 ちばわらい〜である。このプロジェクトは2005年度に始まったそう。千葉大学の創作狂言を作る授業で、同大学教授の柴佳世乃(日本文学)や狂言方和泉流の小笠原由祠を中心に、学生たちが千葉に伝わる伝承やお祭り(過去には横芝光町の鬼来迎や『南総里見八犬伝』に取材)をテーマとした、千葉弁による(だっぺ、とか言う)創作狂言を作り上げ、公演をうつ。青葉の森公園芸術文化ホールなどの運営を行う千葉県文化振興財団や、県民たち、多くの人々が力を合わせて作り上げる舞台である。

 今回の「ちばわらい」は記念すべき第一回公演を皮切りに、今回が三度目の上演(再々演)。千葉笑いの様子を初めて覗きに来た城主は、用を言いつけていたはずの家来・太郎冠者と千葉寺で鉢合わせ、住民たちから自身への不満を散々に笑われ……。新型コロナウイルス感染症による自粛やマスク着用等の時事ネタも折り込みバージョンアップしているのだと思う。

 最後は客席も拍手喝采の千葉笑いとなる。能・狂言でこうした形で舞台と客席が一体になって盛り上がることは少なく、私自身はその場内の雰囲気がとても楽しかった。良い、新年初笑いとなった。次回は令和6年1月6日(土)の予定、組み立て式の能舞台を出して能舞台上での上演も計画しているそう(今回はプロセニアムステージでの上演)。

 なお会場となった青葉の森公園芸術文化ホールでは、令和5年2月4日(土)〜19日(日)まで「みんなで能舞台に触れるWEEK!」を開催、第42階青葉能や野村萬斎出演の狂言の会を開催する。こちらも楽しみ。

 

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