哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2023年11月の読書のこと「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」

■ アンのゆりかご 村岡花子の生涯(村岡恵理/新潮社)のこと

 

cafe Five・ロータスカフェ(いずれも、千葉県千葉市

 久しぶりの読書感想文である。相変わらず、本が読めない。といっても『ビブリア古書堂の事件手帖』の五浦大輔のように体質的に本が読めないわけではなくて、単純に本を読む余裕がないだけである。一昨年までは年間四十冊くらいは読んでいたのだけれど、昨年は二十冊、今年は十一月までで九冊である。なんとなく、物足りなく感じる。

● 読んだこと

 本書は『赤毛のアン』(原作:L・M・モンゴメリ)の翻訳で著名な村岡花子の生涯を綴った作品で、花子の子ども時代の話から、翻訳家になりアンの翻訳をした経緯、その後が描かれている。著者の村岡恵理は花子の孫である。

 物語は10歳の花子が、東京・麻布の東洋英和女学校に入学するシーンから始まる。花子の父の安中逸平は静岡県の茶商の生まれで、敬虔なクリスチャンであり、社会主義者としての活動もしていた。花子が生まれたときには、母てつの出身地である山梨県甲府にいたそうだが、後に一家は南品川に引っ越し、そこからこの度、給費生(奨学生)として花子が寄宿舎生活にやって来た、というわけである。
 要は庶民の生まれである花子に対して、カナダ人宣教師によって創立されたこのミッションスクールの生徒の多くは華族や貴族たちであったようで、文化の違いがあった。さらに教師の多くがカナダやアメリカ、イギリス等の婦人宣教師であり、英語による授業も多く、花子の苦労はいかほどかと思うが、それでも学力や勤勉さで自身の居場所を作り、優等生としての地位を築いていく。また学校内外で柳原白蓮片山廣子、佐々木信綱といった、後々まで花子に影響を与える人々との出会いを得る。

 学校を卒業した後、花子は山梨英和女学校に教師として赴任する。広岡浅子市川房枝といった、女性活動家らともこの頃に出会う。東京に戻り、翻訳や編集の仕事をしている中で、聖書の出版等を手掛ける福音印刷の跡取りであった村岡儆三と結婚、夫は後に社長になるが、ほどなくして発生した関東大震災によって会社を失い、また儆三と花子の長男道雄も、六歳の誕生日を目前に病没してしまう。夫婦にとってはつらい時期であったと思う。

 そして1939年、第二次世界大戦が始まる。花子とは冊子『小光子』の編集も共にした、銀座・教文館に勤めるカナダ人婦人宣教師ミス・ロレッタ・レナード・ショーが戦況を受けてやむなく帰国する際、花子に「私たちの友情の記念に」と贈ったのが『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』である。アンの物語を気に入った花子にとって、アンを翻訳することは心の支えとなったようだが、もちろん戦時下の日本においてカナダの小説が発刊できるわけもなく、そもそも洋書を持っていることさえ見つかれば処罰される時代、花子は自身の蔵書(大量の洋書)を地面に埋めて隠し、アンの原書と翻訳原稿を大事に抱えていた(防空壕にも持って逃げた)のだとか。そして戦後のアンの発刊、大流行へと話は繋がっていく。

 

なお、以下は私が関心を持った箇所(良いシーンというわけではなく、あくまで関心を持った、である)

【ンダガヤ】 東京に着いた彼女は、彼と連れ立って、そのころはまだ野原だった千駄ヶ谷を歩いた。午後六時に彼のための歓送会があるというので、彼は羽織袴のいでたちだった。(新潮文庫 十四刷 一三二頁・花子にとって気にかかる男性であった澤田廉三との、最後の逢引きを綴った随筆からの引用シーン。この恋は結局成就せずに終わる。澤田を見送ったあと、花子は一人でいられなくなり、矯風会の年上の友人である守屋東を誘って銀座を夜通し歩き通したとか。矯風会とは世界平和、男女の同権や未成年者の禁酒禁煙等を目的に活動するキリスト教団体。この箇所が気になったのは、千駄ヶ谷が出てくるからである。)

【ンダガヤ】 今丁度会社から帰って夕食を終えた処です。 手紙がありましたので、嬉しく食事をすませました。それで嬉しさも素振りに出さぬ様にして居ります。今朝会社の出掛けに千駄ヶ谷へ往き、守屋さんに逢って籍の事が片付いたと云って置きました。守屋さんも大変に喜んで居りました。後の事に就いては、あなたと相談して下さいと申して置きましたから、何かあなたの方に通知があると思います。(新潮文庫 十四刷 一七七頁・後の夫となる儆三から花子への手紙である。また千駄ヶ谷が出てくるが、守屋東は千駄ヶ谷に住んでいたのだろうか。この頃、儆三には病弱な先妻と子どもがいたので、花子とは不倫関係であったことになる。当時は妻の病気も離縁の理由となり得たそう。)

 花子にとっても、二の岡で過ごした夏は文学者としての基点となった。
 小我より真我。社会の中で自分がなすべき仕事とは何か。花子は自分の探求する文学を、自分ひとりの世界にとどめずに社会に還元していく、という意識を浅子から得たのである。新潮文庫 十四刷 一四二頁・花子が取り組んだすべての子どもたちに平等に読書の機会を与えようという取り組みも、こうした背景があるようである。「花子とアン」(NHK・主演:吉高由里子)で描かれた花子が、同じ朝の連続テレビ小説「あさが来た」(NHK・主演:波瑠)で取り上げられた広岡浅子から影響を受けている、ということが私にとっては興味深く思われた。なお、前者は未視聴。)

 老若男女の生活はもちろん、子供の教育にも軍が干渉するようになり、飼い犬まで 軍用犬として戦争に駆りだされた。ほっそりした中型犬のテルは、可愛がられる役目 に慣れきって、戦地で勇ましく戦えるわけがない。 役に立たなければどうなるか――。 とても、みどりたちには聞かせられなかった。(新潮文庫 十四刷 二五六頁・1937年に日中戦争が勃発した翌年、村岡家の飼い犬テルは戦場に連れていかれたそうである。私はこうして犬も出征していくということを知らなかったので、衝撃を受けた。みどりとは儆三と花子の娘(花子の妹が産んだ子を養女としていた)である。)

 

● 考えたこと

 すぐ上の引用でも分かってもらえると思うが、本書は村岡花子の生涯を描きながら、大正・昭和の文化史、民衆史であり、戦争の記録でもある。人間同士の別れももちろんつらいが、大切な飼い犬との別れも日常にあったということが、私にとってはショックであった。このエピソードは本書の大筋とは関係がないが、戦争のもたらした影響の大きさを改めて考えさせられるシーンである。また花子と儆三のエピソードからは当時の家族制度の様子も知ることができる。

 花子はアンの舞台であるプリンス・エドワード島に足を踏み入れたことがないばかりか、初めて海外を(アメリカに住んでいたみどり夫妻を)訪ねたのは、その晩年になってからであったそうである。アメリカ訪問時、カナダのプリンス・エドワード島にも行く予定であったけれど、現実を見ることで、モンゴメリが描き、自身が想像しているそれが失われることを懸念して、結局取り止めたとか。晩年、翻訳家を志す若者からの質問にも、和歌等での日本語修練の大切さを説いていたということで、花子が翻訳に際して大事にしていたのが必ずしも海外の文化をそのまま吸収したり、現物を直接見ることではない、というのは一つ印象的である。もちろん、海外渡航ができなかったのは病気がちであった儆三を気遣っていたなどの事情はあるようだが、それでも無理に海外を目指さず、生涯和装を通して日本の文学に尊敬の念をもっていた花子。海外の文化と日本の文化、それぞれの良さを冷静に見極める態度を持っていたのではないかと、推察される。

 戦後、みどりの発案で、村岡家の蔵書のうち児童書を、道雄文庫ライブラリーとして近所の子どもたちに公開していたそう。子ども向けの私設図書館のはしりであったようで、そうした試みは私も興味のあるところである。各家庭の方針や経済事情、そもそもの出版業界の様子次第で、本を読みたい子どもにきちんとそれが行き渡っているかはわからない。そうした子どもたちが、自由に本に触れる機会があるということは、とても大切なことのように思われる。

 

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