哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2023年12月の徒然なること

■ 2023年12月の徒然なること/絵画等のこと18.01「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」@千葉市美術館

 先週の金曜日から喉の痛み、土曜日はくわえて鼻水と痰、倦怠感、日曜日からは咳が出始め、火曜日まではそれらの症状が続く。熱はほぼ平熱。鼻水と痰、ごくごく少しの咳は未だに続くけれど、病院での診断は風邪であった。コロナでもインフルエンザでもないらしい。良かった。

 それで先週は日、月、木曜日をお休みとして、ずっとゴロゴロしていた。ゴロゴロしながら、アニメ版の「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」(第五部)を見ていた。舞台が現代のイタリアで、海に面した南欧の明るさ、爽やかさが美しい。主人公のジョルノ・ジョバァーナは第三部(ダイヤモンドは砕けない)のラスボスであるDIO(頭部は第一部のラスボスであるディオ・ブランドーであり、身体は同部の主人公であるジョナサン・ジョースターという人物)の息子。第三部の主人公(第四〜六部にも登場)の空条承太郎の依頼により、第四部の登場人物である広瀬康一がジョルノの調査のためイタリアを訪ねるところから物語が始まる。もつとも承太郎と康一はほんの序盤だけの登場で、メインはジョルノと仲間たちが、ギャング組織パッショーネの中で繰り広げる冒険だ。

 私はこの第五部は漫画で一度通していたのだけれど、アニメは初視聴、漫画を読んだのもだいぶ前なのでずいぶん忘れており、新鮮な気持ちで楽しめた。概ね好きな作品である。パッショーネのボスの娘トリッシュを守るという物語全体のミッションもわかりやすいし、ジョルノの冷静なキャラクターも好感が持てる。改めてジョルノが仲間に加わるブチャラティチームの面々の人柄も良いと感じられた。特に、当初他のメンバーと壁があったジョルノと、最初にコンビでミッションに挑むことになり、すぐに打ち解けているミスタはいい奴だし、アニメで見るとミスタのスタンド(登場人物たちはスタンドという守護霊のようなもので敵のスタンドと戦うのである)であるセックス・ピストルズ(六人組のごく小さなスタンドでミスタが放ったリボルバーの弾丸を自在に操る等する)がとにかく可愛い。特に泣き虫のNo.5がよい(ミスタは四を嫌うため、No.4を除いたNo.1からNo.7の番号が振られている)。

 ただ気に入らないのはサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会以降の、ブチャラティである。肉体は死んでいながら気力だけで生きているような状態になるのだけど、この状態が謎なのである。スタンドに関する理屈は、もちろん現実味はないのだけれどそれでもそういう世界なんだと思えば了解可能である。ただ、この物語終盤〜最終盤までのブチャラティの死んでいるのに動いているという状況は、作品世界の理屈から考えても変なのではないか? と思わざる得ない設定であり、私は好きではないのである。

 スタンド、ローリング・ストーンズにまつわるエピローグはなかなか面白い。ブチャラティ一行が抗えない運命に絡め取られながらも、自分たちの意志で動いていくのが、とても良いのだ。

 

 それでようやく風邪が治りかけている本日、千葉市美術館にて、会期最終日の「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」に再訪してきた。再訪と言うからにはすでに一度訪れていて、その時の記事を探したのだけれど見当たらなかった(こちらで記事にしていなかった)。なので、自分のInstagramを漁ったら、10月の中頃に見学した際のポストがあったので、一部を引用する。

 恥ずかしながら絵本もつくる人荒井良二さんのことを、私はまるで知りませんでした。

 絵だけではなく立体作品も展示されています。この展示にはいわゆる作品リストや整理されたキャプションというものがありません。恐ろしいことに作者による手書きで、壁面やベニヤに作品の説明が書かれていて、それが暖かく、誤字がある点から妙なライブ感があり、とても良いのです。

 展示冒頭の作者の直筆の挨拶に完璧にやられて、荒井良二さんの世界に引き込まれます。観客を楽しませようという気持ちがとても伝わってきて、眺めていると色々と発見できる居心地の良い展示です。

 そしてただぶっ飛んだ人なのかと思いきや、原画が展示されている絵本は絵もお話もとても美しくて、またデッサンはとてつもなくリアルで、そんな中で突如として落書きのようなイラストやコメントがあったり、もう何なんだこの人と、興味がつきません。

 と書いていて興味が尽きなかった私は、もう一度ゆっくり展示を拝見しに再訪しようと思い続けてようやく伺えたのが本日(繰り返すが会期最終日)である。

 相変わらず良かった。『あさになったので まどをあけますよ』(荒井良二/偕成社)の原画をしげしげと眺めた。本展示の展示案(荒井良二の直筆)からも、観客をいかに楽しませるか、いかに自分の作品を知ってもらうか、工夫をこらしている様子が伝わってきた。随所に、今回の千葉市の展示のために荒井良二が頑張ってくれたのが伝わってきて嬉しくなる。

 展示の最後に、荒井良二が影響を受けた本のくじ引きみたいなものがあり、あたった本をチェックしてみよう、みたいな趣向なのだけれど『ちいさなとりよ』(マーガレット・ワイズ・ブラウン/岩波書店)が紹介されていた。

 死んだ鳥を見つけた子どもたちが、鳥に墓を作ってあげる話なのだけれど、最後のページには「こどもたちは とりの ことを わすれてしまうまで、まいにち もりへ いって きれいな はなを かざり、うたを うたいました。」とある。「わすれてしまうまで」というのがミソである。大抵の人はそうして、悲しみも何も忘れてしまうのである。心温まるだけの物語かと思ったら、最後にそんな当たり前の現実を示唆していて、鋭い! と感じた次第である。

 

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