哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2024年6月の徒然なること


名代 富士そば(東京都渋谷区)

■ 2024年6月の徒然なること

 引き続き、人生に疲れている。仕事も忙しいし、仕事していない時間が楽しくすごせているかというと、そうでもない。 

 ところで人生とは本当に仕事と仕事以外だけだろうか? この分類は理屈の上では正しいのだけれど、心情的にはあまり正しくないような気がしている。
 つまり、仕事とは無関係と思って楽しみながら取り組んでいたことが、結果的に一つの仕事の達成につながる、そんなことがあるはずだ。
 例えば私はこうして毎週、ブログの更新をしているのだけれど、そうしているとごくごく基礎的なWEBページの仕組みは理解せざるを得ない。結果としてそこで得た知識が仕事で役に立つこともある。知識や人脈は、いつどのようにして人生に作用するかわからない。

楽しく冒険して、ダンジョンに潜って、魔物を倒して、宝を探して、気が付いたら世界を救っていたような。そんな旅がしたいんだ。
ーーアニメ「葬送のフリーレン」(TOHO animation

 引用したのは、「葬送のフリーレン」で80年前にフリーレンと一緒に魔王を倒した、勇者ヒンメルの言葉てある。仕事もこうあれば良い、と思う。つまり、仕事と無関係と思って楽しみながらやっていたことで、仕事が済んでしまえば良い、と。

 ところがである、一方で好きでやっていたことなのに、それが仕事に繋がった途端、なんで自分は仕事なんかをせっせとやっていたのだろうかと、うんざりすることもある。
 またしばしば、私の中だけではなく外の、つまり他者が介在することによって引き起こされるうんざりもある。仕事で知り合った方と楽しく遊んでいたら、社内の人間に、なんでそんな仕事上特にならないことをするのと、不思議がられたり、止められたりする。仕事の名のもとに、様々なことを管理しようとする。
 会社というものは妙な悪感情と奇怪な風習とで彩られる、最低の集合体である。

 それ故、こうも思う。仕事自体はそもそも楽しいものである。一つ一つの作業を形にして達成していくのは、本来楽しいものである。それに水を差すのは、常に社内にいる人なのだ、と。
 そうした周囲の声に耳を傾ければ、気苦労が絶えずに損ばかりする。しかしそれを無視すれば妨害に合う。引き続き、人生に疲れている。

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