哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

好きなものがあること

■ 好きなものがあること

● 好きなものがあること

 このところ、アニメ「ダンジョン飯」(東京MX、2024)と「葬送のフリーレン」(日本テレビ、2023)を、アマゾンプライムビデオで観ている。どちらも人間以外にエルフやドワーフが登場するファンタジーで、世界観が重なるところがあるので、話がごっちゃになってしまう感はある。
 「葬送のフリーレン」は昨秋からテレビ放送されていて話題になっていたので、なんとなくタイトルは知っていたのだけれどあまり関心がなかった。「ダンジョン飯」の方は数年前、知人に原作コミックスを勧められたことがあり、それで今年に入ってからアニメ化してテレビ放映されていることを知り、追っかけで拝見している次第である(原作は結局未読)。ところが「ダンジョン飯」を最新話まで観切ってしまい、手持無沙汰になってしまったため何か別のアニメをと思い、「葬送のフリーレン」を観始めたら見事にハマって大好きになった、という次第である。
 この二作については、まだ現在進行形でテレビ放送が続いている作品であるため、詳しくは追って記事にできたらと思う。

 そもそも私が何故アニメを観るのか。アニメは再生ボタンさえ押せば、だらだらと流れ続ける。日中仕事をしていると、疲れやもやもやが心の中に蓄積していく。職場を離れてさえも、仕事のことを考えてしまったりする。職場への行き帰り、私は片道一時間ほど中央総武線各駅停車に揺られるのだけれど、その間、スマートフォンアマゾンプライムビデオにてアニメを観ることで、気持ちを切り替えることができるのだ。
 映画では実写にせよアニメにせよ良くない、二時間も映像を観ることは、それが途中で中断できるとは言え、それなりに決心のいることだからである。同様に実写の連続ドラマも往々にして一時間ものであり、長すぎる。というかそもそも、生身の人間が出てくるドラマよりも、声は人間のものでありながら視覚的には生身の人間が登場しないアニメの方が、仕事からの切り替え効果は高いように感じている。
 かつては連続アニメを観ることは、私にとってそれなりに勇気のいることであった。三十分を十二話と考えて六時間、かなりの時間を拘束されるし、その間家のテレビの前ですごさなければならないというのは、なかなかハードルの高いものであった(家族と同居していると、家族にとって興味がないテレビ番組を観ることができるタイミングは、それなりに限られてくる)。しかしこの数年、アマゾンプライムビデオをはじめとしたサブスクの動画配信サービスが発展したことで、そのハードルはぐっと下がった。  観たいときに少しずつ、視聴を進めることができる。

 こうして書いていくと私はアニメが好きなのだろうと思われるかもしれない。今回お話したいのはそのことである。私はアニメ好きですと、と決して私自身は言わない。それが問題である。
 好きなものを好きと主張するのが苦手である。特に話をしている相手が、そのものを好きで熱く語られてしまうと、「私も好きなんです」と言えないことが多い。相手がその魅力を滔々と語ってくると、聞き役に回り、あまつさえ何も知らないふりをして質問をしてしまったりする。まあその何かを、好きと言ってよい基準がよくわからないから、というのが理由だと思うのだけれど。
 例えば猫は他にいくらでも好きな人がいるし、何なら私より私の母の方が猫好きであると思う。あるいはウクレレは一時(十五年くらい前に)熱中したことはあるし、いまだに好きな気持ちに変わりはないけれど、とはいえこの十年くらいはほとんど練習していない。そんな事情から、好きと表明することを避けている。
 ただ一方で不思議と、読書と乗馬のことは好きと表明している。どちらもさして熱中して取り組んでいるわけではないのに、このところバタバタしていてあんまりできていないんだけれどと予防線を張りつつも、趣味は読書と乗馬と主張してはばからない。

 アニメも同じ、あんまり色々観ているわけじゃないからなと、アニメが好きと主張することは遠慮してしまう。「葬送のフリーレン」が好き、と言うことには抵抗はない。その点は間違いのない事実であるから。ただアニメ全般が好きなのかというと良くわからないので自身が持てない。
 でもそんなこと言ったら読書だって、椎名誠が好きで、村山由佳が好きで、森見登美彦が好きで、梨木香歩が好きで、上橋菜穂子が好きだけれど、他に全然知らない作家は沢山いるし、好きな作家の作品だって全てを読んだことがあるわけではない。だからまだ見ぬ作品と出会って、椎名誠村山由佳が嫌いになることもあるかもしれないし、読書自体が好きでなくなることもあるかもしれない。読書というグループ分けの中に、広大なブラックボックスが広がっており、それが私の読書評を変えてしまう可能性があることは認識しつつも、目を瞑っている。
 アニメに対しては、何故目を瞑れないのだろう*1

 まあ、それはそれで特に不都合はないから良いのだけれど。アニメを好きと表明することで良い結果がもたらされることがあるかもしれないけれど、その反対もあるかもしれない。そう考えると、アニメを好きと言わずにすごしていることで損しているのか、得しているのかはわからない。だからどうでもいいのである。
 ともあれ前述したとおりに、このところ特にアニメが公私の生活を切り替えるのに役立っていることは事実である。アニメが好きということは表明しなくていいし、そもそも好きかどうかの判断も保留しておいて構わない*2。ただアニメは役に立つ、その点だけは認識しておいた方がいい。そもそも好きとは、役に立つくらいの感覚と近いのかもしれない。

● 映画等のこと19.01

 ところでこれまで「続々々・最近見たもののこと ID : INVADED」、「映画等のこと⑩「平家物語」」、「2023年12月の徒然なること ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」、「映画等のこと⑱ アニメ「王様ランキング」の歌舞伎的側面 等」と、連続アニメについて本ブログにて触れてきている。それぞれに印象に残った作品だったから取り上げたのだと思うけれど、それ以外にどんな作品に触れてきているのだろうか。
 以下は私が2011年に大学を卒業してから十三年間で、最初から最後まで視聴した連続アニメである。テレビ放送を観たもの、TSUTAYAでDVDを借りてきたもの、アマゾンプライムビデオで視聴したものと様々である。

アンデッドガール・マーダーファルス(フジテレビ、2023)
id:INVADED イド・インヴェイデッド(東京MX、2020)
うちの師匠はしっぽがない(東京MX、2022)
有頂天家族(東京MX、2013)
有頂天家族2(東京MX、2017)
王様ランキング(フジテレビ、2021)
王様ランキング 勇気の宝箱(フジテレビ、2023)
銀の匙 Silver Spoon(フジテレビ、2013)
昭和元禄落語心中(TBS、2016)
ジョジョの奇妙な冒険(東京MX、2012)
ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース(東京MX、2014)
ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(東京MX、2016)
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風(東京MX、2018)
新世紀エヴァンゲリオンテレビ東京、1995)
SPY×FAMILY(テレビ東京、2022)
SPY×FAMILY Season2(テレビ東京、2023)
宇宙よりも遠い場所(東京MX、2018)
平家物語(フジテレビ、2022)
ラブオールプレー(日本テレビ、2022)

 この中でまだ触れていなくて印象に残っているのは、「うちの師匠はしっぽがない」だろうか。狸の女の子(まめだ)が女性の上方落語家(実は妖狐)・大黒亭文狐に弟子入りして落語家を目指す、という話。
 なお「葬送のフリーレン」は、魔法使いフリーレンのもとにフェルンという少女が弟子入りする話。私は女性の師弟関係を美化して描いた作品が好きなのかもしれない。

■ ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com

 

*1:なお、能楽についても応援している能楽師はいるので、そうした能楽師の出演している舞台を観ることは好きであるが、能楽そのものが好きなわけではない。

*2:そもそもアニメは媒体である。読書も媒体である。アニメや読書を好きとは、実写でない映像を観るのが好き・印刷された文字を読むのが好き、と言っていることと同義である。この作者・作品が好き、と主張する方が健全なのでは、とも思う。