哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

BUMP OF CHICKEN「なないろ」のこと

BUMP OF CHICKEN「なないろ」の傾向と対策について考える

 

 私は本曲を主題歌とするドラマ「おかえりモネ」(NHK・主演:清原果耶)の無類のファンであることで知られているため、ドラマについてはまたゆっくり記事にしたい。そこで本項では、ドラマの雰囲気に非常にマッチした本曲についてのみ、真剣に考察していくものである。


 ドラマ主題歌として、それこそ毎日、本曲を聞いているわけなのだけど、改めてイヤホンをつけて、You Tubeで本曲を聞き直してみる。真っ先に思ったのは、藤原基央ってこんなに声が綺麗だっけ、ということであった。いま32歳の私は、多分BUMP OF CHICKENの世代と言っていいのだと思う。彼らの代表曲であろう2ndシングル「天体観測」のリリースが2001年3月、私はその翌月に中学校へ入学、バンドがヒットを飛ばし知名度を上げ若者の心を掴んでいく時期に、私は中高大という多感な時期をすごしていた。それで、もちろん私も彼らの曲を聴き漁っていたのだろうと言うとそうでもなくて、友達には彼らのファンも多かったから家に遊びに行って耳にすることや、中学の給食の時間に校内放送で流れていたような記憶はあるのだけれど……。そもそも、私には音楽を聴くという風習がなく、実は今もあまり聴く方ではなくて、それでも高校の友人に勧められて聴き始めたのがTHE BEATLESであり、QUEENであった。私の青春は実際より30〜40年くらい昔をうろちょろしていたのである。

 それで話を戻すと、そんな不真面目な聴き手であった私にも、藤原の声がぼそぼそと聞き取りづらい時とガンガンと耳に突き刺さる叫び声のニパターンであることはわかっていて(失礼)、あれ、こんな優しい声の時、あったかなと……。私のBUMP OF CHICKENの情報は10年前で止まっていて、取り急ぎわかる曲「車輪の唄」や「花の名」を聴き直してみたが、やはり声が尖っている気がした。それに引き換え、本曲の藤原の声は良い感じで曲調にマッチして、優しく澄んでいて深みがあるのだ。とても良い。

 さて、それでは曲の中身に触れていく。と言って、曲調について何か分析できるわけではないから好き嫌いの話なのだけれど、メロディは覚えやすいキャッチーなもので好き、アレンジは私にはちょっと凝り過ぎて作り物っぽく感じる、音作り自体は記憶の中の、10年前のBUMP OF CHICKENの方がかっこよく感じる。そして歌詞は、この曲は歌詞がとても良い。藤原基央の声と歌詞で充分に聞くべき曲なのである。

f:id:crescendo-bulk78:20210815102844j:plain

 そこで、本曲の歌詞の良いと思う点を、列挙して褒めちぎっていこう。まず、"躓いて転んだ時は 教えるよ 起き方を知っている事"という歌詞が終盤にある。躓いて転んでも、起き方は教えてくれないんだ、というのが引っかかった点。

 ところで本曲、登場人物は何人だと思います? って、私もよくわからないのだけれど、僕と君の二人、というのは多分違っていて、歌詞を読むに君は僕の胸の奥にいる存在で、本曲の中ではまだ見つかって(再会して?)いないので、出てくるのは僕だけ。じゃあ、躓いて転ぶのと、起き方を知っていることを教えるのとは、どちらも僕なのかという疑問で、それはきっとどちらも僕だけど、時制が違うのかな、と思う。多分だけれど、この曲は昨日(過去)の僕(=大切な"失くせない記憶")が、今日(現在〜未来)の僕を、励まし続ける曲なのだ。

 というのは、いま文章を書いていて、ああ、なるほどと出てきた考察なので、いい加減自分の理解力のなさが嫌になるのだけど、そうか、そういうことか。それで、このフレーズの何が良いって、自分が起き上がれると思って起き上がるのと、起き上がれるかわからないで起き上がるのとでは、やはり前者の方が起き上がれる確率は上がると思う。私は再三ここに書いているけど、精神疾患で仕事を休んでいた時は本当に何もできない、成し遂げていないと思っていたけれど、くだらない微々たる成功体験まで広げて考え直してみれば、案外たくさん、できていることはあるし、今も高望みせず目の前の物事を一つ一つこなして、出来たことを積み重ねている最中である。それは、自分ができるんだ、起き方が思い出せなくても、自分は知っているんだっていう、自信の源になるのである。

 同様にこのフレーズに対応するのが序盤の"あの日見た虹を探すこの道を 疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色"という部分。これも同様に、虹の色そのものズバリは教えてくれなくて、この歌詞はBUMP OF CHICKENらしい。「真っ赤な空を見ただろうか」の"夕焼け空 きれいだと思う 心をどうか殺さないで"にも似た、外界ではなく人間の心の中に意識を向けた、良いフレーズだと思っている。

 それで、先の時制がという議論に結びつくのだけど、もう一つお気に入りは"手探りで今日を歩く今日の僕が"というところ。話は変わるけれど、世界5分前仮説というものがあって、これは今認識しているこの世界が5分前に今ある形で創られたものだとしても、我々にはわからない、というもの。もちろん昨日の記憶も、我々の生活の痕跡も全て、ずっと存在したかのような体で生み出されたのだっていう……。この仮説は私としては結構想像しやすいと思うのだけれど、そうでなくともこの世界は常に新しく生み出されるダイナミズムの中にあって、今の私は今発生して次の瞬間には消えていて、でもその瞬間には次の今の私がいて、とにかく今は今の私しかない、というのは……、うん、書けば書くほど意味不明になっていく。とかく、人々は過去の自分で自分を誇ったり、反省したり、あるいは幸福を明日の自分に譲り渡したり、不幸を明日の自分に丸投げしたりすることがあるが、今日を歩いているのは今日の自分なのだ。そのことを大事にしたいと思う。

 本曲には"治らない古い傷"を"昼間の星"に例えるシーンがある。傷というと悪いイメージで、星というと良いイメージであるため、不思議な気がするが、実はその傷はどんなに隠しても、今の私を形作る大切な要素で、今の痛みも、成功も、その傷があるから今があるのだ。本曲は"高く遠く広すぎる空の下"で"失くせない記憶"や"治らない古い傷"を持つすべての人に聞いていただきたい、名曲である。

■ちょっと関連

philosophie.hatenablog.com