■2021年8月の徒然なること
今年の8月は……、あっという間でした。新型コロナウイルス感染症の影響もあって、夏らしき出来事の少ない8月ではありましたが。それでは、9月の私への引継ぎ事項として、以下の通り8月の私が考えたことの一端をまとめます。
●違いがわかる男のこと
●絵画等のこと4.01「前川千帆展/江戸絵画と笑おう」@千葉市美術館
私は前川千帆を存じ上げなかったのだけれど(千葉市美術館の友の会組織である「ちばしびフレンズ」に入会しており、何度でも企画展を拝見できてしまう故に、こうして知らない方の回顧展に足を運んで、新たな出会いを得ることもできるのです)、1888年に京都市に生まれ、漫画家のちに創作版画家として、1960年まで活躍された人物だそう。幸内純一との共作で、アニメーションの先駆である「なまくら刀」にも取り組んだとのことである。
「野外小品」シリーズでは正方形の画面に一人、野外における現代人の生活を描き出し、本人は「版画ジャアナリズム」と称していたそう。この頃(1920年代後半~1930年代前半)の前川の作品は確かに、当時の人々の生活の空気感が詰め込まれているようで、とても良い。木版墨摺の「工場地帯1」は白黒、単純なラインでありながら、リアルに当時の様子を想像させられた。また震災から復興していく街並みを描いた「新東京百景」では木版多色摺で、きらびやかで可愛らしい「渋谷百軒店」が印象に残っている。もちろん、私は当時の東京を見たわけではないので、本当はそれがリアルかどうかすらわからないのだけれど、きっとこうだったんだろうなと想像しながら見ることは、楽しいものである。なお新東京百景というワードについてどこかで聞いた覚えがあるなと思っていたのであるが、”新版画家の川瀬巴水が1936年頃制作した『新東京百景』もあるが、こちらは6作で未完結となっている(新東京百景 - Wikipedia)”そうであり、無関係であった。
前川は版画と並行して、「おてんばチャッピー」のような漫画も手掛けていたそうであるが、1935年、完全に木版画に軸足を移したそう。そして、戦時下の1945年4月には志茂太郎(出版人のようであり、ネットで調べた限りだと、興味深そうな人物である。調べよう……。)の郷里である、岡山県久米郡へ疎開。戦後も5年間、同地に留まって創作を続けたそう。戦時中や戦後の物資不足で本を綴じる糸もないため、経本のような蛇腹折りの形で、『閑中閑本』という部数限定の、今でいうzineのようなものを作っていたそう。1960年の第二十六冊、つまり72歳で亡くなるまで作り続けていたようで、素敵な活動である。
⇩印象深い作品たち
- 前川千帆「工場地帯1」(1929年)
- 前川千帆「新東京百景 渋谷百軒店」(1929年)
- 前川千帆「新東京百景 品川八ツ山」(1929年)……光が感じられる。
- 前川千帆「温泉宿二階」(1953年)……緑が綺麗。
また同時開催の「コレクション展 江戸絵画と笑おう」では、縁起物や可愛らしいものを描いた江戸絵画を紹介。伝徳川家光「墨絵 子供遊図」が良い。広い画面にこじんまりと整列して描かれた子供たち、なんでこんなに細々と……、とあきれて、家光公が少し好きになった。後は長沢芦雪・曽道恰「花鳥蟲獣図巻」とともに展示された須田悦弘「米」、2012年に千葉市美術館にて開催された「須田悦弘による江戸の美 」と同じ組み合わせかと思うが、再び見れて良かった。ちょっと楽しかった。
●不安のこと③
毎月、不安について考えている。私にとって、何らかの不確定要素により自分に不利益が降りかかることに対する恐怖、これが一つないし複数存在することで生まれる感情が不安であり、恐怖の方がより具体的(不安の方が抽象的)であるため、不安への対処法として、不安を切り分けることで一つないし複数の恐怖に分解することがあげられる。以上が、過去二回のまとめである。
これだけ分析して見せても、私自身はいつも不安を乗り越えることができているわけではなくて、しばしば不安の波に足元を掬われて沈没している。前職を辞めたときや、今の職場を休職した時、私の周りには不安ばかりがあった。目の前に何かがあったら、それより向こうの光景が見えないように、目の前に膨らみ過ぎた不安があれば、それ以外のものは見えない、希望も可能性も何も。
私が感じていた不安は幸い仕事に対してだけなので、仕事を休んでいた時はひとまず、目の前の大きすぎる不安をそれがとりついている仕事の塊と一緒くたにして、衣装ケースに押し込み、押し入れにしまった。横になってスマホでYouTubeを見た。YouTuberたちが騒いでいる様子やゲーム実況を延々と見続けた。ちゃんと、私の目の前の不安を一度どかしてみれば、楽しそうな世界がそこにあった。
そんな生活を一、二か月続けたある日、押し入れから不安を出してみた。それは目の前を塞いでいたせいでやたらと大きく感じていたけれど、実はさほど大きくもなかった。それで一呼吸ついて、私はその不安と向き合ってみることになったのだ。(つづく)