哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2024年2月の読書のこと「ハリー・ポッターと賢者の石」「ハリー・ポッターと秘密の部屋」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」

■ 「ハリー・ポッターと賢者の石」「ハリー・ポッターと秘密の部屋」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(J・K・ローリング松岡佑子 / Pottermore Publishing)のこと


馬事公苑(東京都世田谷区)

 年末年始、体調を崩して時間があったこともあり、ハリー・ポッターシリーズの映画(ハリポタ八作品(七巻分の内、七巻のみパート一・二に別れている)、ファンタビ三作品)を一気観した。それはそれで楽しかったのだけれど、映画化の常として原作小説からカットされているシーンが多くあることは否めない。
 やはり原作を読み返したいなあと思って調べていたら、キンドルで七巻分(四巻以降は上下巻のため、単行本で十一冊分)がセット販売されていることを知り、ちまちま読み始めたところである。現在第一~三巻にあたる『ハリー・ポッターと賢者の石』『ハリー・ポッターと秘密の部屋』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を読了したので、感想を記す。

 そもそもハリー・ポッターとは、サレー州 リトル・ウィンジング プリベット通り四番地 階段下の物置内に住む男の子で、第一巻の序盤、七月三十一日に十一歳の誕生日を迎える。おじのバーノン、おばのペチュニア、いとこで同い年ののダドリーら三人のダーズリー一家と同居しており、両親は自動車事故で死んだと教えられている。家ではおじ、おばに冷遇され、学校でもダドリーらにいじめられている。
 ところがある日、ホグワーツ魔法魔術学校という魔法使いの学校から入学案内の手紙が届き、ハリーは両親が魔法使いで史上最悪の闇の魔法使いヴォルデモートに殺されたこと、赤ん坊のハリーも殺されそうになったところを何故か呪いを跳ね返して生き残り、反対にヴォルデモートが力を失ったこと、等を知る。本シリーズはそんなハリーがホグワーツ魔法魔術学校に通う七年間(一巻につき一年分)を描いたもの。ハリーは魔法使いとして成長していき、一方でヴォルデモートも徐々に力を取り戻していく。毎年毎年、ハリーは子どもでありながら、ヴォルデモートの手下等に狙われ、命がけの大冒険をするのである。

 今回読んだ三巻までは、ハリーが三年生、十三歳までの物語。私自身が小学生のころ、この三冊は何度も読み返して愛読したものであるため、当時を懐かしみながら大いに楽しんだのだけれど、一つ問題点が発生した。どのシーンを読んでも、頭の中で映画が再生されるのである。
 原作を読んだ時に自分で想像したイメージが崩れるのが嫌で、映像作品は見ない、という方が時折いる。私自身は本を読んでもあまり想像力が働かないタイプで、登場人物がどういう姿をしているのか、物語の舞台がどんな場所でどのような情景が広がっているかについて、あまりイメージを膨らませることは少なく、どんなことが起こるのか出来事重視で読み進めてしまうことが多いのだけれど、それでも映画を観る前(そもそも私が小学生の当時は「賢者の石」すら映画化されていなかった!)と観た後とでは、完全に読んだ時の想像が変わってしまった。具体的ではなかったにせよ、おそらくぼんやりとはキャラクターの姿形についてイメージがあったと思うのだけれど、それが今や、完璧に映画のキャスティングで再生されるのである。
 例えばハリーを常に見守ってくれるルビウス・ハグリッドという大男(後に人間と巨人のハーフだと分かる)がいるのだけれど、今、原作小説を読んでいてもハグリッドという単語を目にして私の中に出てくるのは、映画でハグリッド役を演じたロビー・コルトレーンでしかないのである。その点はもしかすると、悲しむべき事なのかもしれない。小学生時代に私が同書を読んで浮かべていたイメージは、それがいかに貧弱なものだとしても、戻ってくることはないだろうから。もっとも映画を観なかったとしても、当時の感情をそのまま思い出せたとは全く思わないけれど。

 ところでハグリッドの容姿について、一巻第一章「生き残った男の子」では”男の背丈は普通の二倍、横幅は五倍はある”とある。改めて読むと大分目立つ格好をしている。普通をイギリス人男性の平均身長一七五センチメートル(参考:ヨーロッパの平均身長2023年 - Wanna Be Taller )と考えると、ハグリッドの身長は三五〇センチメートルということになる。横幅は適当に普通を三〇センチメートルと考えれば一五〇センチメートル程、でけぇ。読んでいて横幅が五倍という点に随分幅広なのだなと思ったけれど、落ち着いて考えれば身長が二倍で横幅も二倍だとただのやたらと背の高い人になってしまうので、横幅は五倍でバランスが良いのだなと思う。ともあれ、でかいものはでかい。

 なお映画では、子ども時代のダニエル・ラドクリフハリー・ポッター役)と比べて、身長は二倍弱、横幅は三倍程に見えるので、原作より大分コンパクトである。
 ただし、である。原作をさらに読み進めると、一巻第五章「ダイアゴン横丁」に”電車の中で、ハグリッドはますます人目をひいた。二人分の席を占領して、カナリア色のサーカスのテントのようなものを編みはじめたのだ”とある。これはおかしい、まず背丈が二倍の大男が電車に乗ることができるのかも疑問であるが、横幅が五倍の大男が座って、果たして二人分の席で足りるのだろうか、という点がとても謎である(座席二人分に編み物を広げて、自分は立って作業をしていたのかもしれない)。横幅が五倍について、私は正面から見た時の横幅のことだと思っていたのだけれど、もしかすると腰回りが五倍、という意味なのかもしれない。腰回りを円の円周と考えると、正面から見た時の横幅は円の直径にあたり、円周を円周率で割れば直径が割り出せるため、腰回りが五倍の時の正面から見た時の横幅は一.六倍くらいになると思う。これであれば、席の占領は二人分で済むかもしれない、もっとも先述の通り、この比率だとやたら背の高い人になってしまい、不格好のように思うのだけれど。
 なお、ハグリッドのサイズ感については、三巻第十一章「炎の雷」にも記載があり”ハグリッドはなにしろ普通の人の二倍はある”と説明されている。ここでは何が二倍なのか明記されていないが、恐らく背丈のことなのであろう。

 映画のイメージ云々の件で、読んでいてビジュアル面(サイズ感や物の並びなど)が気になるようになった。その点は、映画を観た効用かもしれない、と思う。

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