哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年9月の徒然なること

■2021年9月の読書のこと「華より幽へ 観世榮夫自伝」

●「華より幽へ 観世榮夫自伝」(観世榮夫・北川登園/白水社)のこと
 観世榮夫は七世観世銕之丞雅雪の次男として1927年8月3日に誕生。兄は観世寿夫、弟は八世銕之亟静雪、現在の銕之丞暁夫は甥にあたる。観世流の分家というエリートの血筋でありながら、その修行のメソッド(身体の鍛え方)に疑問を抱き、1949年、後藤得三の芸養子となって喜多流へ移籍し、喜多六平太、喜多実に師事。さらに1958年には能楽協会を離脱し、現代演劇やオペラの演出、出演に取り組む。1979年に能界、観世流に復帰。2007年6月8日没。
 私が興味を抱いたのはもちろん、このキャリアである。能楽界でこうして流儀を移籍するのは、まずありえないことである。そんな型破りな能楽師観世榮夫の語りを非常にわかりやすくまとめているのが、本書である。さてその問題の移籍であるが、無意識に能を繰り返し、稽古をして身体を作っていく観世流のメソッドではなく、意識的に身体を作り変えていく喜多流のメソッドに魅力を覚え、特に身体の固まらない二十代前半にそれをやってみたい、というのが理由だったそうだ。そもそも明治期以降強固な家元制のあった能楽界において、榮夫がこうして喜多流や他流と触れ合うようになったのは、一つには戦争で多くの舞台が焼かれていしまい、一つの稽古場に多流が入り混じったり、ともに議論したり、という機会が生まれたからのようである。
 そんな榮夫が次に興味を抱いたのが、演出の仕事であった。京劇の団員に能を教えたり、オペラの演出に携わることで、他ジャンルの役者と交流するようになった。これが、当時の能楽界では問題視されたようである。ただ芸術として能を考えたときに、家元制度によって喜多流の能はこう演じる、観世流ではこう、ではなく、その表現のために何が一番良いかを追求したい、という思いで演出に興味を持たれたようで、結果として榮夫は能楽協会を退会して能界から離脱する。これがどういうことかというと、プロの能楽師としてお金を取って能の公演に出演することができなくなった、ということである。
 能界を離れて演劇やオペラの演出をしていても、あるいは映画に出演していても、意識としては能を極めるためという思いだったそうで、伝統を守りに入ってはいけないと、芸術として、表現としての能に、真剣に取り組んだ人物だと思う。この期間にも関東観世流学生能楽連盟の「鷹姫」では老人役に起用され(能楽協会は良い顔をしなかったそうだが)、また世阿弥座として海外での能楽公演に出演したり冥の会で観世兄弟と共演したりと、当たり前だが能界と縁が切れていたわけではないようで、最終的には兄寿夫の死を機に観世流への復帰を果たす。寿夫は病床から、観世流喜多流能楽協会に手紙を書いて、弟の復帰に尽力したとのこと。
 真摯に能に向き合った人物の自伝、私は伝統芸能の実演家でも芸術家でもなんでもない、しがないサラリーマンだけれど、自分の関心に向かって必要なものを学び、得ていく彼の姿勢には大変心を動かされたし、参考にしたいと思う。

■2021年9月の徒然なること

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山梨の友人からいただいたシャインマスカット

 9月のまにまにです。

●不安のこと④

 毎月、不安について考えている。仕事に対する不安がどうしようもなくなって休職した私は、しばしの完全休養の後、職場への復帰を画策する。職場からはリワーク施設への通所を命じられ、主治医から勧められた施設に通うことになる。

 そこで色々な経験をして、結果的に私は職場に復帰して、3年半ほど順調にすごしているのだけれど、不安に関してはいまだに日々日々、抱きながら暮らしている。心の上にのっぺりと不安がのしかかっていても、とりあえず気にせず動ける、動いているうちに不安が、この息苦しさが気にならなくなる、そういうことを体感を通して理解できたことが、リワークに通い、そこで取り組んだことの成果の一つだ。

 暑い暑い夏が終わり、秋がやって来たことは、皆さんの記憶にも新しいだろう。もっともまだ、真夏のような日差しの日もあるが。私はこのところ改めて、自分がこうして肌寒くなったり、低気圧になって天気が悪くなって、という気候変化が苦手なのだ、ということを実感している。毎朝、目が覚めると対象のない(理由のわからない)不安が心を覆っている。ともすればそうした不安から目を背けて空想に逃げ込みたくなるが、仕事があるのでそうもいかない。以前はその不安が仕事の中にあると思っていたのだけれど、今は案外仕事することが不安から目を背けさせる良いリソース(役立つもの)となっていて、不思議である。

 主治医に相談したところ、こうして秋、冬となるにつれて調子を崩す人は多いそうで、日照時間の減少が影響しているとのことであった。そうした症状の治療に、毎日30分から1時間程度、専用の器具を用いて人工の光に当たる、光療法があるそうである。太陽の光が持つ宇宙的なエネルギーが、という問題ではなく、照明器具で解消(少なくとも良化)できうる問題である、ということに、なんとなく不思議な思いを抱くものである。

●常識

 常識は人の数だけある
 古い常識、新しい常識
 大人の常識、こどもの常識
 女の常識、男の常識
 あなたの常識、私の常識

 あなたはあなたの常識を、
 常識だと思う
 あなたはあなたの常識以外を、
 非常識だと思う

 この世界は無数の非常識で溢れている
 常識は人の数だけある
 非常識は人の数の二乗ある
 古い非常識、新しい非常識
 大人の非常識、こどもの非常識
 女の非常識、男の非常識
 あなたの非常識、私の非常識

 古い人と新しい人、大人とこども、
 女と男、あなたと私、
 みんな違うから、みんな非常識

 でも

 みんな違うから、予想外の喜びが生まれる 

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