哲学講義

仇櫻堂日乗

【まえがき】会社勤めの傍ら、趣味で文章を書いています。私の日常での出来事や考えたことに加えて、読んだ本、鑑賞した美術などの展示、コンサートや能楽公演の感想、それに小説などの作文を載せます。PC表示ですとサイドバーに、スマホ表示ですと、おそらくフッターに、検索窓やカテゴリー一覧(目次)が表示されますので、そちらからご関心のある記事を読んでいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2021年10月の徒然なること

■2021年10月の徒然なること

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 10月、私にも天高く馬肥ゆる秋がやってきました。

●〆切のこと

 このところ(一ヶ月程)久しぶりに、当ブログの更新に追われながら過ごしている。ある時から、早め早めに何を書くかを計画して、そのテーマに沿って投稿の一週間くらい前にはあらかた執筆を終えてしまうという、計画的犯行を行っていた。そのリズムが崩れたのは……、あっ、創作まつりなんかやってたからか……。

 ともあれ、そのリズムがなかなか戻らないのは、今は他にやりたいことがたくさんある証拠で、先週末(2021年10月16日)までは、少ない自由時間を一箱古本市への準備にあてていた。それで今週は、馬に乗りに行く予定もあるし、次の古本市と初開催を計画している哲学カフェの準備も進めたいし、で、ブログを書く時間がゆっくり取れず、今も通勤の途中、総武線の車内でこれを書いている。

 そもそも、何故自由時間が少ないのかというと、職場にいる時間が長くなっているためなのだけれど、それだってルーティンの仕事だけこなしていればそんなに残業にもならないはずである。商品を売るために、手を入れてみたいところが、工夫してみたいところがたくさんある。そんなことをしていると、ついつい帰りが遅くなっている。

 そんなわけで、このところの私は〆切に追われがちなのであるけれど、それはそれで、良いことなのだと思う。今の私を追い立てる〆切たちは、今のあるいは少し前の私がやりたいと思ったことばかりなわけで、彼らは私のやりたいことの実現の、きっかけであり原動力となってくれている。〆切がなければ、私のやりたいことは永遠に完成しないだろうから。

●映画等のこと6.01「岬のマヨイガ

misakinomayoiga.com

 少し前の話になるが、映画「岬のマヨイガ」を拝見いたした。(以下、ネタバレを含みます。)『遠野物語』をはじめとする、東北の民話や信仰を題材に、優しい物語で震災直後の東北・狐崎を描いた作品。17歳の少女ユイと8歳の声を亡くした少女ひよりは不思議な老女のキワに導かれて、ある古民家で暮らし始めるのだけれど、それがマヨイガで……。マヨイガというのは訪れたものをもてなし、また富をもたらすという伝承のある家。その家であったり、三人の間に流れる、空気感がとても居心地よく、マヨイガが客人をもてなす、ということがよく伝わってくる。

 最後にアガメという怪物との対決が描かれるのだけれど、やたらとスケールがでかくありがちで、そこについてはなんだかなあと思ったが、中間はとても良い。また、この映画については原作(作:柏葉幸子)からの改変(改悪?)を指摘する意見をTwitterで拝見した。大きな変更だと、ユイのキャラクターがDVを受けている大人の女性から、虐待を受けている少女に変更となったようである。私自身は映画だけを拝見してとても好きな作品であったので、原作にもあたって、その辺りも確認してみたいと感じた。

 キワのように、すらすら民話を語れる人ってすごいと思う。そういう、語り部みたいになりたいものである。ドントハレ。

●不安のこと⑤

 毎月、不安について考えている。

 私の感じている不安というのがどんなものなのかを、きちんと書いていなかった。私の抱いている不安は、胸のつかえや息苦しさといった形で現れる。たいそう調子が悪かったときは毎日息苦しく、なんだか呼吸の仕方を忘れてしまったような、呼吸が下手な人になってしまったような、不愉快な感じがしたものである。

 今はお陰様で、そうした息苦しさはよほど調子が悪いときしかやってこず(もっとも抗不安薬のお陰かもしれないけれど……)、大抵は不安を感じると言っても、胸のつかえを覚える程度である。胸のつかえといっても、それを感じない人には説明のしようがないのだけれど、なんとなく胸のあたりが窮屈だなと、壁に突き当たっているような感触を覚えるのだ。

 リワークに通ったり、あるいは精神科に通院したりする中で、一つ学んだことはこうした感情、感触を、きちんと言葉や数字にすることだ。自分の感情に、過去最高を100とすると何%ですか等と、数字をつけることはよくあることで、そうして数字にしておくと、自分の感情の揺らぎの大きさがどのように変化したのか、昨日よりも良くなったのか悪くなったのか、一目瞭然である。もちろん、その数字は主観でつけているわけなのだけれど、少なくともすごく不安、とても不安等と言われても、どちらがどれくらい強いのかがわからない一方、数字であればよりシンプルに伝わる。同様に言葉にすることもとても大事で、一口に不安感と言っても、息苦しさなのか、心臓の動悸なのか、人によって様々であろう。

 以上のような理由から、まずは自分の痛みや辛いことについて、きちんと言語化できること、というのがとても大切なスキルだと考えるものである。

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